【書評】『中東戦記 ポスト9・11時代への政治的ガイド』(ジル・ケペル著・池内恵訳/講談社選書メチエ/1680円)
【評者】山内昌之(東大教授)
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現代の複雑な中東情勢を理解するには、まず信頼できる政治ガイドに依拠するのが一番よい。フランス人政治学者のジル・ケペルは、アラブの政治社会事象をとらえる戦略性と大局観において定評のある人物である。
本書は、2001年の9・11事件以来、ほぼ中東をくまなく訪れた印象を旅行記の形でまとめているが、随処に鋭い文明論と未来予測がちりばめられている。とくにシリアやレバノンのように日本人になじみのない国の現状を浮き彫りにした意味は大きい。両国ともかつてフランスの支配下にあっただけに、ケペルの同僚研究者がレバノンで大臣をつとめるような、濃密なつながりが今でも存在するのだ。
彼は、1975年から1980年までのレバノン内戦を、パレードのようにイデオロギーの衣装を派手にまといながら始まったのに、終わる頃には「忌々しい組織犯罪の血塗れのぼろきれで覆われていた」と形容する。
さながら、理想から出発しながら汚辱の中で悶死したリビアのカダフィにもあてはまる描写である。若い頃にダマスカスで学んだケペルは、友人が「熟練のスパイ研究者」として誘拐され処刑された事件を生涯残る大事な記憶として語る。テロのおぞましさをわずか数行で浮かび上がらせる技量は凡庸でない。
貧しい研究員生活を送った若きケペルは、侮辱されたアラウィー派農民の子弟が軍で頭角を現してアサド父大統領を生み出すシリアの貧しさと特異な政治構造を語るにふさわしい人物なのだ。
すでに2001年夏に「ダマスカスの春」を生み出しかけた民主化フォーラムの活動を知ると、いまのシリア政治の動きも分かりやすい。若いバッシャール・アサド大統領と側近が民主化に理解を示す一方、保守的後見人らが民主化議論のサークルを次々に閉鎖していく。
シリアの支配エリートの担う宿命は複雑である。湾岸からマグリブに広がるアラブの変動を読者が主人公になったかの如く周遊する気分になれる好著といってよい。
※週刊ポスト2011年11月18日号