急性リンパ性白血病であることを発表し、現在闘病生活を送っている大塚範一キャスター(63)だが、大病にもかかわらず、11月7日の『めざましテレビ』(フジテレビ系)に電話出演し、「来年の3月4月には完全復帰したい」と力強く宣言した。そこには、キャスターとしての意地だけではなく、今年93才になった母への強い思いがあった――
大塚さんと東京でふたり暮らしをしていた母は、2000年ころから認知症を患うようになってしまった。夜中に街を徘徊するようになり、いつも作るご飯の倍の量を作ったり、前日と同じメニューを作ってしまうこともあった。
大塚さんは、これまで支えてくれた母の面倒を見たかったが、仕事との両立は無理と、京都で暮らす姉が引き取ることになった。
「母は“もう(東京に)帰る、帰る”って最初は泣きじゃくっていました。そんな母を心配していたんでしょう。範ちゃん(大塚さん)はこっちの方に出張があると、足を延ばして、寄ってくれたりしました。範ちゃんと会うと、母は表情とか態度が、私たちのときとは、ちょっと違うんです。やっぱり特別なんですよ。京都に来られないときも、心配して、週に1度は母に電話してきました」(姉)
会話は成り立たなくても、母の声が聞ければという思いだったのだろう。離ればなれになり、認知症が日々進行していくなかでも、母は、いつも大塚さんのことを思っていた。
「買い物に行けば、“あの子は鯛が好きだから”と範ちゃんのために鯛を買おうとするんです。だから1度カゴに入れて、母にバレないようにこっそり返したこともありました」(姉)
5年ほど前に、認知症のほかにも病気を患い、現在は入院生活を送っている母だが、姉の家で暮らしていたときから必ずしていたことがあった。
「毎朝『めざまし』を見てました。範ちゃんがテレビに出ている姿を毎日楽しみにしていたんです」(姉)
そんな母の思いを知ってか、大塚さんは『めざまし』への思いをより一層強いものにさせていく。63才にして未婚の“おひとりさま”というのも、『めざまし』に全てをかけてきたからといっても過言ではない。
「月1回、開かれる『めざまし』の会議では、大塚さんは、“あのときのあそこが悪かった”と共演者やスタッフに、それは細かくダメ出しをするんです」(テレビ局関係者)
2007年には、番組放送中に、「担当は誰なんだよ、おい!」という大塚さんの「怒声」が流れるハプニングもあった。
「きっと大塚さんはお母さんに、“自分が出演している『めざまし』は、どの番組よりもいい番組だ”と思ってほしかったんでしょうね。だからこそ、周囲への要求も厳しくなっていったんだと思いますよ。すべてはお母さんのための行動だったのかもしれませんね」(別のテレビ局関係者)
今回、白血病が発覚し、最悪のケースも考えられると告げられたという大塚さん。ショックで一度は落ち込んだという。しかし、前述したとおり、その弱気になった心を奮いたたせ、公の電波を通じて復帰宣言をした。そんな彼の胸に期するのは、もう一度、母が楽しみに待っている「5時25分」に、自分の元気な姿を見せなければならないという決死の思いだったに違いない。
※女性セブン2011年11月24日号