【書評】『「冒険ダン吉」になった男 森小弁』 将口泰浩著・産経新聞出版・1890円(税込)
評者/笹幸恵(ジャーナリスト)
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「私はモリ・ファミリーの一員です」
数年前、トラック(現在のミクロネシア連邦チューク州)を旅した折、そう誇らしげに語る若い女性に出会った。トラックでモリ・ファミリーの祖とも言うべき森小弁(1869~1945)の名を知らない者はいない。それどころか、モリ・ファミリーは偉大なる日本人の血を受け継ぐ一族として、様々な分野で活躍している。
本書の主人公・森小弁は、戦前に田河水泡の『のらくろ』と並んで人気を博した島田啓三の漫画『冒険ダン吉』のモデルと言われている。ひょんなことから南洋の島に渡り、知恵と勇気で数々の苦難を乗り越え、ついに大酋長となる物語だ。本書はその人生を描いたノンフィクション・ノベルだ。
小弁は自由民権運動が盛んだった土佐の生まれである。板垣退助に「あだたん(枠に収まりきらない)男になれ」と言われて政治運動に関心を寄せるが、政府の転覆を狙った運動に加担したとして禁固2年の刑を受ける。服役中に孟子を読み、何度も書写した。
『力を以て人を服する者は心服に非ざるなり』。政治闘争に明け暮れる日本に嫌気がさし、出所後、こう決意する。
〈俺は日本じゃなく南洋で政治家になります。『徳を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず』。安寧な社会を作り、食うに困った日本人を受け入れる国を作る〉
こうして明治24年12月、22歳の若さで小弁は勇躍南洋へと旅立った。鯨に食われるか、はたまた人食い人種に食われるか。旅の途中、「トラックには日本人が訪れたこともなく、男衆は南洋一の荒くれ者である」と聞いた。小弁はそのトラックに行くことに決めた。
心の中にあるのは、常に「王道とは何か」だった。闘争に明け暮れ、武力を以て統治するのは“覇道”である。仁徳を以て民と共に歩むことこそ“王道”であり、真の王者であった。その王者たるべく、小弁はトラックの大酋長としての道を歩んだ。
学校を作って子供たちの教育水準を上げるべく尽力した。第1次世界大戦後、日本の委任統治領となってからは、爆発的に増えていく日本人移民と地元民との関係を良好にするため、私財を投じて運動場を作り、盛大な運動会を催した。
トラックは、小弁という一人の男がいなければ、全く違う道を歩んでいたに違いなかった。
王道を行く大酋長の前に、やがて覇道の足音が聞こえてきた。大東亜戦争だ。働かなくても椰子の実は実り、タロイモは育ち、海へ入れば魚も採れる。そんな南洋の島を連日の空襲警報と飢餓が襲った。そして、連合軍による大空襲。
しかし、小弁と島民たちには、列強の荒波に翻弄される悲しさと同時に、全てを受け入れようとする強さがあった。
〈明治の男の気概。自由民権運動の頃から自由平等社会を志し、トラックに単身上陸、大酋長となり王道政治を実践したあだたん七十五年〉
と、本書は記す。今も森小弁という一人の日本人、いや「あだたん男」の精神はトラックに脈々と息づいている。彼の抱いた夢と希望は、今の日本にこそ必要なものかもしれない。
※SAPIO2011年11月16日号