広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が、“未完の大器”評する落語家が柳家一琴だ。
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1993年、落語人気が低迷する状況を打破しようと意欲的な若手落語家七人が「らくご奇兵隊」というユニットを結成した。メンバーは春風亭昇太、立川談春、立川志らく、柳家小緑(現・花緑)、三遊亭新潟(現・白鳥)、橘家文吾(現・文左衛門)、そして横目家助平。
昇太だけが真打で、他は全員二ツ目だった。最後の「横目家助平」という一風変わった名前の落語家は、現在は柳家一琴と名乗っている。柳家小三治門下の「未完の大器」だ。
1967年生まれ、大阪出身。最初は大阪で落語家になることを考えたが、両親が関東出身だった影響で大阪弁に関東の訛りがあるとの指摘を受け、上方落語ではなく東京落語の演者になることを決意。「マクラ抜きでスッと噺に入って観客をたちまち引き込んだ『芝浜』のカッコ良さに惚れて」小三治に弟子入りした。
入門は1988年で、前座名は桂助。1992年に二ツ目に昇進する際「台所鬼〆」の襲名を希望したところ、大師匠である五代目小さんが「そんなにヘンな名前が欲しいなら」と、代わりに「横目家助平」を与えた。
2001年に真打昇進して柳家一琴。当初は改名せずそのまま真打にと思ったものの、小三治一門で同時昇進する柳家小のりのために師匠が「禽太夫」という名を考えたのが羨ましくなり、小三治に頼んで「一琴」と命名してもらったのだという。もっとも、「横目家助平」という名があまりにキャッチーだったせいか、文左衛門や白鳥あたりはいまだに一琴を「横目家」と呼んだりする。
現時点での知名度は「らくご奇兵隊」時代の仲間に大きく遅れを取っているが、『目薬』や『ふぐ鍋』といった軽い噺を何度でも面白く聴かせる一琴の「落語の上手さ」は注目に値する。持ち前の「顔の筋肉の柔らかさ」を活かした見事な「顔芸」には、当たり前の噺を独特の爆笑編に変えるパワーがある。
※週刊ポスト2011年11月18日号