教室の黒板が「キ~」という音を立てる。思い出しただけで背筋が疼き、鳥肌が立つが、いったいなぜみんなが同じ反応をするのか。じつは、これは、進化の歴史の古い時期から、人間にすり込まれた反応だという興味深い説がある。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が解説する。
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あなたには、許せない音がありますか? 「黒板を爪でキ~ 不快の原因 敏感な周波数」 (読売新聞2011年11月6日)。そんな見出しの記事が目を惹きました。
オーストリア・ウィーン大学などの研究者たちが、爪やチョークで黒板をひっかく音を録音して、被験者に繰り返し聞かせ、不快さの程度を判定してもらったそうです。すると、「最も強い不快感を呼びおこすのは、2000~4000ヘルツの周波数帯であることが分かった」。
黒板を爪でひっかく音などが集中する帯域について、「人間の耳の穴はこの帯域を増幅する構造になっているため、特に耳障りに感じるらしい。また、不快な音では音の高低の変化も、不快さの原因になった」と、記事は伝えていました。
つまり、「キ~」という音は、ヒトの耳の敏感な帯域を直撃し増幅する。しかし、だからといって、その音が「鳥肌が立つほど不快である」という理由は、今ひとつわかりません。
私自身、以前から、「特定の音が人に不快さを与える」現象について不思議に思ってきました。調べると、最初にあの音の「寒気」について考察したのは、なんと古代ギリシャの哲学者・アリストテレスだったそうです。その後、「周波数が高い音だから不快に感じる」が通説になりました。
ところが、その説について三人の米国人研究者が1986年、「精神音響効果」を調査したところ、「高周波のせい」という理論はあっさりと捨て去られました。
「高周波の部分を除いても、不快な感情はそのままでしたが、低周波部分を除いたところ、驚くべきことに被験者は心地よく感じたのでした」(スティーヴン・ワァーン著『Q&A人体のふしぎ』 講談社ブルーバックス)
もっと驚くことは、その音が、「ニホンザルが発する警戒の叫び声に似ている」という発見です。
「この発見により、背筋がうずくような感覚は、私たちの進化の歴史の古い時期から取り残されている原始的反射らしい、と考えられるようになりました。もう一つの考え方は、黒板の“金切り声”が、文明が起こる前に人間が野生生活を送っていたころの捕食者の発する声に似ている、というものです」(同書)
なるほど。キ~というあの音は、自分を襲おうとしている敵の声。つまり「危険」と結びついているからこそ、背筋がぞっとするほどイヤな感じがするのか。この説明はすっと腑に落ちました。しかし、この説も推測にすぎず、まだ立証されていないそうです。
何といっても興味深いこと。それは、さまざまな民族や文化、言語の差異を超えて、人が不快を感じる音というものが共通している、ということ。これを、「痕跡反応」と呼ぶそうです。
「痕跡反応」とは、生命をめぐる生存と闘争の歴史が育んできたもの。人間の独特な経験が創り上げてきたもの。
世界中には宗教や民族の違いによる激しい対立がありますが、ぐっと視点を引いて人類の長い歴史から眺めてみれば、「人間はみな似通っている」ということかもしれません。