11月5日、会見で都内の大学病院に勤める医師(53)との結婚を報告した岩崎良美(50)。50才にして初婚となったが、これまで結婚に踏み切らなかったのは事情があった。
16才でテレビドラマ『江戸の鷹』で女優デビュー。その後、18才で歌手デビューも果たすなど順風満帆な芸能生活を歩んでいた良美。そんな彼女はデビューから10年目に突然歌手活動を休止する。
「ある記者から“岩崎宏美は2人いらないのでは?”といわれ、良美さんは、はっとしたそうです。何よりも大切な姉の邪魔をしていたと思い知り、とても歌い続けることができなくなってしまったんです」(音楽関係者)
一方で、実家にも大きな転機が訪れる。父が経営していた会社が多額の負債を抱えたのだ。そのため父は、借金返済の基盤として娘たちのマネジメント会社を新たに設立した。そしてこれが家族の間に大きな溝を作る引き金となった。
「稼ぎ頭は宏美さんでしたから、彼女が歌えなくなることはいちばん避けなければいけなかったんです。そのため、宏美さんの結婚話に、お父さんはことごとく反対していました」(岩崎家の知人)
1988年、宏美は交際中だった俳優の内田直哉(58)と海外挙式目前だったものの、父の反対により破局。また1989年、大手商社の御曹司と結婚するときは、挙式10分前になっても父は教会に現れなかった。しかし、このときは父の反対を押し切り結婚。2人の息子を授かった。女優活動こそしていたものの、事実上、歌手活動をしていない良美と、結婚して仕事が激減した宏美。ふたりをマネジメントする父の会社は収入が途絶え、もう後がない状態だった。
しかし1995年、性格の不一致で夫と離婚すると、宏美は、「家族のためならば」と仕事に奮起。しかしそんな思いもむなしく岩崎家は崩壊を迎えてしまう。
「事務所が立ち直ると、お父さんが家族を顧みなくなり、たまりかねたお母さんは2002 年に離婚し家を出てしまいました。宏美ちゃんはお父さんとそのまま実家に残ったんですが、ママっ子だった良美ちゃんはお母さんと生活していくことになったんです。小さいころからお父さんから叱られると、必ずお母さんが守ってくれた。今度は良美ちゃんがお母さんを守ろうとしたのでしょう」(前出・岩崎家の知人)
家族のドタバタに翻弄されてきた良美にとって、それ以来「結婚」は現実味のないものとなっていった。
「ヨシリンは“男が切れたことがない”って公言するくらいモテモテだったんですよ。でも、誰とつきあってもどうしても結婚に踏み切れなかったんです。ましてお母さんは高齢の上に年に2回も手術するほど体も良くなかったので、とてもひとりになんてできなかったし…」(良美の友人)
ところが2年前、姉の宏美が俳優・今拓哉(42)と再婚。これが良美の結婚観に大きな影響を与えることになった。
「ああ、私ってひとりぼっちなんだわ」
そんな思いを抱くようになったのだ。いずれは自分もひとりになってしまう、そんな考えにもとらわれるようになったという。
「互いのことを思いながら人生を歩んでいけるパートナーが欲しい」
「新しい家族が欲しい」
――そう強く願うようになったという。
「良美さんは自分の籍にはいって家を継いでほしいとまではいわなくとも、結婚したら母親の面倒をみて同居してくれる人がいいと考えていました。いってみれば、マスオさんが望ましかったんですね。でも自分が50才ともなると、相手が初婚ということはほとんどないわけで…。
Aさんのように、子供もいる男性となったわけです。Aさんには子供と住む家があって、通い別居婚となっていますが、そういう意味では、新しいタイプのマスオさんですかね。でも、子供が自立したら、お母さんと3人で一緒に暮らそうと話しているようです」(前出・岩崎家の知人)
※女性セブン2011年11月24日号