江戸時代から植林され、計7万本もの松が連なって見事な景観を誇っていた陸前高田市の「高田松原」。3月11日の大津波で樹木は無残にもなぎ倒され、その景観は一変した。いまそこにあるのは、奇跡的に生き残った1本の松の木。人々はそれを“希望の木”と呼び、明日への生きる力としている。
現在、ひとりぼっちで残された松は、本来なら深い緑をたたえているはずの葉が、濃い茶色に変色しつつある。海水による塩害で根が腐り、最後の力をふりしぼっているかのような様子なのだ。なんとかこの松を残して、命をつないでいきたい――そう願う人々によって、4月から子孫を残すための対策がとられている。
津波からこの松を守った7万ファミリーに代わって、現在は日本緑化センター、造園建設業協会岩手県支部の人々が、必死の手当てをしている。松の上方の枝を100本ほど切り取り、県内の育種場で、別の松に接ぎ木。そのうち数本が成功して、いまは元気に育っている。また、幸いにして震災前に、地元の70代の主婦が、この松原で松ぼっくりを拾ってとっておいていたことが判明。たまたま拾ったものだったが、その松ぼっくりから800個の種が取れた。
これもまた県内の育種場で育てたところ、数百の芽が出て、いまはすくすくと育っている。松ぼっくりを拾った主婦の新沼孝子さんはこういう。
「去年の秋からリースを習い始めたので、その材料として10月くらいから松ぼっくりを拾うようになったんです。3月11日の震災で、子供のころから慣れ親しんだ高田松原がすっかり姿を変えてしまってとても悲しかった。そんなとき、ふと手元に松ぼっくりが残っていることに気づきました。松ぼっくりから芽が出たと聞いて、もう嬉しくて嬉しくて…。芽が順調に育って、松原が復活してくれたら、と期待しています」
1本を残した高田松原ファミリーの思いは、人々の強い希望や技術によって、着実に生かされようとしている。津波は、すべてを根こそぎ奪うことはできなかった。命は、いまも確実にバトンリレーされているのだ。
※女性セブン2011年11月24日号