組織を揺るがす大騒動が起きると、やがてキーマンが鬼籍に入り、疑惑は「なかったこと」になる――。何とも後味の悪い幕引きは、角界の伝統といっていい。11月7日の鳴戸親方の急死により、鳴戸部屋をめぐる暴力事件等への調査は打ち切られた。
本誌の角界浄化キャンペーンを知る読者は、15年前の「大鳴戸事件」を思い出すのではないだろうか。1996年4月14日。元・大鳴戸親方(元関脇・高鐵山)が愛知県内の病院で死亡した。
元・大鳴戸親方は協力者の橋本成一郎氏とともに、同年1月から角界に蔓延る八百長問題を本誌で告発した人物である。14週にわたる連弾手記の内容は八百長以外にも、年寄株に絡む脱税疑惑や力士たちの薬物汚染、さらには暴力団との深い関係に及び、角界のみならず社会的に大きな反響を呼んだ。
この問題は外国人記者の関心も集め、4月26日には日本外国特派員協会で講演会が開催される予定だったが、11日に息苦しさを訴えて入院した親方は、わずか3日後に「重症肺炎」でこの世を去ったのだ。
さらに、その15時間後に同じ病院に入院していた協力者の橋本氏も、同じ症状で死亡した。2人とも糖尿病を抱えていたが、肺に持病はない。当時の日本では「重症肺炎」など、滅多に死に直結するような病気ではなかった。しかし、病院からは病理解剖を勧められず、2人の遺体は葬儀を終えるとすぐに荼毘に付された。
その後、協会は2人の死を見計らったかのように本誌を刑事告訴する。だが、2年後に嫌疑不十分で不起訴処分となり、角界の八百長が事実上認定された。この経緯は『新版「週刊ポスト」は大相撲八百長をこう報じてきた』(小学館101新書)に詳しいのでそちらに譲るが、最終的に元・大鳴戸親方と橋本氏の不審死は闇に葬られた。
鳴戸親方の急死は、この「大鳴戸事件」と符合する点があまりに多い。
直前まで元気だった人物が、急死したこと。病理解剖されなかったために、「何が死に繋がったのか」がわからないこと。2人の親方の置かれた立場も似ている。
八百長の蔓延を憂慮し、大相撲の存続に関わる重大問題と受け止めていた。そしてその存在は、時の相撲協会の主流派から目の敵とされていた。
元・大鳴戸親方が死亡する直前、親方の自宅にはひっきりなしに無言電話がかかっていた。また、ある協会幹部が暴力団関係者に「何とか高鐵山の口を押さえられないか」と相談していたとの情報もあった。そうした「脅し」は、鳴戸親方に突き付けられた「稀勢の里の出場停止要求」と重なるものがある。
※週刊ポスト2011年11月25日号