天皇陛下のご入院は、陛下のお体やご負担に」、国民各々が改めて思いを馳せる契機になった。東日本大震災以後、被災者の慰問は7週連続で続き、公務も今年既に470件を超えている。「国事行為の臨時代行」を皇太子が行うことになったが、「摂政」の宮を置くことも宮内庁長官の頭の片隅に浮上しているのでは、と語るのは皇室ジャーナリストの神田秀一氏だ。
摂政とは、日本の歴史においては、天皇の勅命を受け、天皇に代わって政務を執る職をさす。推古天皇の時の聖徳太子(厩戸皇子)が最初とされ、平安時代には臣下として初めて藤原氏が摂政・関白についた。
現行の皇室典範では「天皇が成年に達しないときは、摂政を置く」「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定されている。
実は昭和天皇も、皇太子時代に摂政を務めた時期があった。父・大正天皇の病気が重くなったため、1921年11月25日、20歳の若さで摂政に就いたのだ。当時の新聞はこう書いている。
〈聖上陛下の御不例は七千萬蒼生の等しく悲しみに堪へない事ではあるが、一つには御容貌御氣質に明治大帝と似通ひ給ふ東宮殿下が攝政の大任を帶ばれ國家は泰山の安きに置かれると云ふので安堵の歡びが湧いてくる〉(大正10年11月26日付・読売新聞)
若き摂政は、国民に大歓迎されたというのだ。昭和天皇は大正天皇が26年に崩御するまで摂政を務めた。関東大震災などの難局に当たったのは、天皇ではなく「摂政宮」だったのである。
それから半世紀を経た1987年、昭和天皇が病気で入院した時にも摂政を置くことが宮内庁内で検討されたが、今上天皇は皇太子として国事行為を代行し、摂政に就くことはなかった。
そして今、摂政問題が再び俎上に上がることになったのである。
※週刊ポスト2011年11月25日号