尾崎豊さん(享年26)の遺書が全文公開され、話題となっている。遺書は、2通存在した。1通は尾崎さんが亡くなる直前まで持っていたセカンドバッグから発見されたもので、破ったB5のルーズリーフに書かれていた。
もう1通は血染めの遺書で、妻と子に幸せになってほしいという思いを綴り、血判と<愛してます>と血で書かれた文字で結ばれている。これは死後1か月たって尾崎さんの自宅から発見されたという。
2通とも、妻の繁美さんが所持していたが、今回彼女を取材したジャーナリストにより、『文藝春秋』12月号での公開となった。
死亡時、警察から発表された尾崎さんの死因は「肺水腫」だった。酒を飲みすぎて肺に水が溜まったため、呼吸困難に陥ったものと見られていた。
しかし、1994年に本来なら外に漏れない「死体検案書」が一部のマスコミに流出すると、他殺説が報じられるようになった。覚せい剤に関する記述があったことなどから、誰かに多量に覚せい剤を投与されて殺されたというのだ。
父・健一さんは、真相を究明するために、再捜査の署名運動を呼びかけ、10万人を超す署名を集めて、警察に提出したほどだった。
そして、この他殺説を打ち消すかのように、1994年に一部公表されたのが、セカンドバッグから発見された遺書だった。
それから17年がたち、今回の遺書全文公開を受け、父・健一さんの元を訪ねた。健一さんは、尾崎さんも暮らした実家で、いまもひとり暮らしている。遺書について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「豊が遺書を書いてたって? 見たことは一度もないねぇ。これ、本当の遺書なの?」
そもそも健一さんは、“遺書”に疑問を持っていた。1994年当時に記者会見を開き、こう話している。
「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」
そして今回も「自殺じゃない」ときっぱり反論する。
「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」
他殺説、自殺説、事故説…。19年たっても、真相がわからない息子の死を受け止められない父の嘆きは、これからも続くのだろうか。
※女性セブン2011年12月1日号