「不当な鶴の一声で、愛する巨人軍を、プロ野球を私物化するような行為を許せない」
11月11日、読売巨人軍の清武英利・球団代表(61)が緊急記者会見を開き、コーチ人事をめぐる内部告発をし、渡辺恒雄・球団会長(85)を痛烈に批判した。相手は巨人軍の最高権力者にして、“球界の首領”。そんな人物に盾突く行動だっただけに、世の関心は高まるばかりだ。賛否両論あるが、清武代表にしてみれば、余程、腹に据えかねての覚悟の行動だったはず。組織の中で40年働いてきた男の“反乱”、その背景を探った。
清武氏は宮崎県生まれ。渡辺氏同様、読売新聞の元記者で、初任地は青森県だった。故郷から遠く離れた土地での仕事ながらも、スクープを連発。それには、こんな努力があった。清武氏の知人が語る。
「地元の言葉をしゃべれないと、記者を心から信頼してくれない人もいたんです。清武さんはいつの間にか津軽弁をしゃべれるようになっていましたね。九州育ちの彼が津軽弁を覚えるのは、相当苦労したと思います」
その後、1985年からは東京の社会部で第一線の記者として活躍。第一勧銀の総会屋事件や山一証券の廃業などを手掛けた。ネタを取ることに関しては、誰にも負けなかった。
新聞記者の仕事には、警察幹部や政治家の自宅を夜訪ねて、ネタを取ってくる“夜回り”というものがあるが、清武氏にはこんな逸話が残っているという。
「清武さんは、雨の日に傘もささずにびしょぬれで取材相手の家の前で待っているんです。すると、帰宅した相手が不憫に感じて家の中に入れてくれるんです。実は清武さん、本当はずっと待っていたわけではなくて、相手が帰ってくる頃合いを見て、バケツに溜めた水を頭からかぶっていたそうです。とにかくネタを掴むためなら、そのくらい平気でやる人なんです」(全国紙記者)
疑問を持ったら調べることを信条に、おかしいと思ったことは、とことん追及した。その真っ直ぐで熱い清武氏に憧れる人も多かったが、彼は部下にも完璧を求めた。「お前なんか死んでしまえ」「いますぐ辞めろ!」などと、怒号が飛ぶことは日常茶飯事で、怒られすぎて失神してしまう部下もいたという。
「清武さんはすぐに頭に血が上るタイプ。組織の中では一匹狼に近く、部下だけでなく、上司にもいいたいことをいってしまうんです。“組織に合わない男”としても有名でした」(前出・全国紙記者)
2004年に運動部長から巨人軍の球団代表になって以後も、そのスタンスは変わらなかった。
「巨人は、他チームの主力選手を引き抜くやり方で強くなっていったんですが、清武さんが就任してからは、若手をしっかりと育てていく育成選手制度を導入しました。これには反対する声も多かったんですが、清武さんのひと声で導入を決めたんです」(スポーツ紙記者)
※女性セブン2011年12月1日号