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なにげなく撮り続けた写真が「昭和博物館」の書籍に発展した

【書評】『消えた風景を訪ねる 大人の東京散歩』(鈴木伸子文・加藤嶺夫写真/河出書房新社/1680円)
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)

昭和四〇(一九六五)年代の東京を撮っていた写真家がいた。まさに昭和四〇年代のことであって、目の前に現物がある。誰もフィルムに収めようなどとしなかった。何の用に立つのか、さしあたってはわからない。そもそも何の用にも立たないかもしれない。それでもせっせと撮り続けた。

以来、半世紀ちかくになる。枕橋、相生橋、荒川にかかる木橋、都電の走る千住大橋……。もはや写真の中にだけあって、現物はない。とたんに無用の写真がフシギな効用をおびてきた。タイトルに添えられた「消えた風景」を訪ねてオトナの散歩ができる。昭和四〇年代を記憶にとどめているオトナであって、すでに頭髪は薄く、エネルギーは乏しくなったが、思い出だけはどっさりもっている。

ここではまだ日本橋人形町の一角に浜町川が流れていて、ホロをかけた小舟がもやっていた。「つり船 はぜ釣」の看板が出ていた。すっかりさま変わりしたというのに「うぶけや」という刃物屋は健在らしい。天明三年(一七八三)創業、「産毛でも抜ける」のキャッチフレーズを兼ねた店名の誇りにかけて、平成の世にもけなげに営業を続けている。

カメラは目の前の現物とともに往き来する人々を撮るものだ。なにげなく写っている人物だが、半世紀ちかくたつと、ちがった意味をおびてくる。いで立ち、髪型、歩いたり佇む姿、ヤケに裾の広いラッパズボン、トックリに革ジャン、日傘にワンピース、なんでもない点景が花も実もある昭和博物館の背景をつくっていく。

写真家は二〇〇四年に没。三廻りばかり年少の女性編集者が、残された膨大な写真から選んで銀座、築地、新宿などのエリアに分け、現在と対比しながら的確な小文をつけた。何の用に立つのか、当人にもわからないなかで生まれたドキュメントだからこそ楽しいのだ。有用の行為は役目を果たすとそれでおしまいだが、無用のものは用のかなたにあって、みごとに効用をこえており、理想的な散歩のお伴というものだ。

※週刊ポスト2011年12月2日号

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