11日に“涙の会見”を行った清武英利・読売巨人軍専務取締役球団代表が、11月18日に解任された。一連の騒動のきっかけとなった11日の記者会見直前まで、水面下では、読売関係者から様々な工作がなされていた。
スクープを連発する特ダネ記者としてならし、東京本社の運動部長としても実績を残した清武氏。渡辺会長が目をつけ、読売巨人軍の代表に据えたのは7年前のことだった。以来、清武氏は周囲から、渡辺会長の忠実な臣下と見られていた。
それだけに、今回の反逆は、渡辺会長や読売新聞中枢にとって青天の霹靂だった。11月11日午後2時から行なわれた記者会見の直前まで、清武氏の携帯電話は震え続けていた。読売新聞関係者が明かす。
「渡辺会長の命令によって、読売新聞の側近幹部が、最後の説得を試みようとして、清武氏に電話をかけ続けていたのです。しかし、10数回に及んだ電話に清武氏は一切出なかった。そこで、業を煮やした会長本人が電話した」
清武氏が会見でも明かしているように、渡辺会長からの電話には応じた。だが、40分ほどに達する説得にも清武氏は応じず、「チームの信頼を覆すので、(江川氏起用などの人事介入は)やめていただきたい」と繰り返し、“最後の話し合い”は決裂に至った。
実は、会見の数日前から、渡辺会長は、清武氏の決意が固いと見るや、水面下で様々な懐柔工作を行なっていた。
2日前の9日、東京・東銀座の読売新聞グループ本社で、2人だけの会談がもたれた。約1時間半にわたった会談中、清武氏は渡辺会長に対し、会社としてのルールを破る人事介入の撤回を何度も訴えた。そこで、渡辺氏はこう持ちかけてきたとされる。
「君は桃井君が定年になる1、2年後には社長になるんだから我慢しろ。今後、定年が68歳まで延びる可能性もあるんだから、すべてを受け入れて、専務、球団代表、オーナー代行として仕事を続けてくれないか」
この発言には、多くのメディアが見落としている深い意味が込められている。68歳という年齢には、特別な意味があるのだ。読売巨人軍の内規では、専務の定年は65歳、社長と代表が66歳。要するに、「68歳」とは巨人軍の定年ではない。読売新聞本社の副社長級の定年の数字なのである。
つまり、渡辺会長は清武氏に本社副社長という重職まで提示したことになる。しかし、清武氏は首をタテには振らなかった。
「この時点では、渡辺会長も、清武さんがまさかあそこまで厳しく批判を展開するとは思ってはいなかったはず。ただ、清武さんの姿勢があまりに強硬なため、暴発の可能性もあると見て、副社長ポストまで示唆して、懐柔しようとした。それだけ弱味があったと見ている」(読売新聞関係者)
清武氏は国税担当が長く、数字に強い。代表に就任して7年たつ読売巨人軍だけでなく、本体の財務についても様々な情報を握っているといわれる。別の読売新聞関係者がいう。
「清武さんは、読売では傑出した記者でした。彼が、単なる“自爆テロ”に終わるような行動をするとは思えない。きっと、渡辺会長を黙らせる隠し玉を握っているはずです」
渡辺会長側も、清武氏の“実力”を知りすぎているからこそ、必死になだめようとしていたのではなかろうか。
※週刊ポスト2011年12月2日号