清武英利・読売巨人軍GMが緊急記者会見を開いた11月11日夜、本誌は読売新聞グループ本社の前社長である内山斉氏(76)を直撃した。内山氏は今年6月に突然、社長を退任し、同時に日本新聞協会会長も異例の一期限りで退任したが、その実は渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長による事実上の解任だったといわれている。元々は渡辺氏の“懐刀”とも言われた人物であった。
退任後も読売新聞グループ本社の顧問という立場からか、口を閉ざしてきた内山氏。だが、本誌の取材に対して重い口を開き、自らの辞任、ナベツネ、そして清武氏について初めて語った――。内山氏は、渡辺氏に反旗を翻した清武氏とも浅からぬ関係にある。
「実は彼を地方部で採用したときの担当が私だった。この男は最高に伸びると思って、面接のときに三重丸をつけた。竹を割ったような性格で、まさに“清い竹”。スパーッとした、いい男ですよ」(内山氏・以下「 」内同)
地方部記者として青森支局にいた清武氏を東京に戻し、運動部長にまで押し上げたのも内山氏。
「彼は地方記者で採用だった。青森支局に行くときに『僕は島流しで定年まで地方におかれるんですか』といったんです。私は『そんなことはない。時代は変わる、変える。心配するな』といいましたよ。東京に戻ってからも優秀な特ダネ記者だったから、その能力を買って運動部長にした」
そして、その清武氏の能力を見込んで球団代表に抜擢したのが渡辺氏だった。
「だから、2人はずっといい関係にあったわけだよ。なのに、なぜ……。清武が代表になって取り組んできたことに間違いはないと思うし、育成選手をつくったりとか、あれも花開きつつあったでしょう。そういうのを渡辺さんも容認してきた。一直線の清武と、バランス感覚に優れた桃井さん(恒和・球団オーナー)との組み合わせもとてもよかったはずだけどねぇ」
そして今回の“お家騒動”については、「僕の与り知らぬこと」と首をかしげつつ、次のように分析した。
「渡辺さんのほうは、社内でも世間でも、いっていることはブレていないと思う。だから清武のほうが、むしろ感情的になってしまったのかもしれない。まあ、純粋なんですよ、清武は。清武のことは心配してるけど、辞めることはないと思う。だって、渡辺さんも桃井さんも辞めろなんていってないんだから」
涙ながらの会見の後も、清武氏を後押しする声は社内からも外部からもほとんどなく、“告発”は空振りに終わりそうな情勢である。結局は、渡辺氏の権力の大きさをかえって際立たせる結果となった。
そんな渡辺氏もはや85歳。これから読売グループはどこに向かうのか、内山氏に質したところ、「う~ん」と大きくうなった後、体を前に乗り出して答えた。
「渡辺さんは最後の大物政治記者。彼がいなくなったら、読売は集団指導体制になるんだろうね。でも、もう歳なんだから、好きにやったらいいんじゃないかな」
結局は、全ては時間が解決してくれるのを待つしかない。読売グループの面々は密かにそう思っているのかもしれない。
※週刊ポスト2011年12月2日号