テレビ・ラジオで人気の林家たい平は1964年生まれ。立川談春や柳家喬太郎ら、今の落語人気を支える中堅層と同年代の落語家だ。1988年に林家こん平に入門、1992年に二ツ目に昇進した直後から頭角を現わして数々の賞を受賞、2000年に柳家喬太郎と二人で真打に昇進した。
たい平が師匠の代役で『笑点』大喜利に出演し始めたのは2004年。2006年には正式メンバーとなり、知名度は一気に全国区になったが、ちょうどその時期に、まったく別のところで、同年代の演者たちが中核となる「落語ブーム」現象が起こったのは皮肉だった。その数年前までは、たい平こそ「次代を担うホープ」の筆頭と目されていたからだ。
亡き古今亭志ん朝にことのほか可愛がられたというたい平は、師匠こん平の芸風とは異なる本格的な古典落語の演者で、その将来性は春風亭小朝も高く買っていた。
実際、たい平の落語は面白い。現代的なギャグをポンポン放り込み、エネルギッシュな演技で落語初心者を爆笑させる「若々しい古典」がたい平の真骨頂で、時には「いくら落語でもそんなそそっかしいヤツいねぇよ!」(『粗忽の釘』)とか「その戸棚には文楽師匠が美味しそうに食べた甘納豆が入ってるだけだ! 美味しそうに食べられない一門は開けなくていいんだよ!」(『明烏』)などと、登場人物が演者にツッコミを入れたりする「程のよいマニアックさ」もある。
等身大の「たい平」自身を前面に押し出す芸風は、今の落語ファンの好みに合致している。だが、たい平に対する評価は、意外に高くない。それはある意味、小朝に対する評価の低さと通じるものがある。
全国区の知名度を持つたい平の落語会には、普段は落語を聴かない「一般人」が足を運ぶ。彼らが求めるのは『笑点』メンバーとしてのたい平であり、サービス精神旺盛なたい平は、その期待にきちんと応える。それが時として普通の落語ファン、あるいは『笑点』を知らない人々を置いてけぼりにすることも、たい平自身は知っているはずだ。
五代目三遊亭圓楽は一時期『笑点』から遠ざかって芸を磨き、大成した。今後「落語家」たい平のスタンスがどう変化していくか。才能のある人だけに、楽しみである。
※週刊ポスト2011年12月2日号