巨人軍のコーチ人事をめぐり渡辺恒雄・読売巨人軍取締役会長(読売新聞グループ本社会長兼主筆)を記者会見で批判し、11月18日に解任された清武英利・元読売巨人軍専務取締役球団代表。読売新聞社時代は「伝説の特ダネ記者」としてならしたという清武氏とはどんな人物なのか。同氏の実像に迫る。
青森支局時代の上司だった元巨人軍広報部長・若林敏夫氏はいう。
「原子力船を青森に受け入れるか否かの問題では、大晦日にツメの取材―青森県知事の直撃が残っていた。その大役を清武君に任せたんですが連絡がこない。どうしているかと思ったら、知事の息子と知事と3人で、酒を酌み交わしているんだと。
そして『お父さんに内緒の話があるので、少し席を外してくれないか』と息子に耳打ちし、その場でコメントをとってきてしまう。大胆不敵というか(笑い)。清武君は取材対象者に対し、夜討ち朝駆けで関係を築いて胸襟を開かせる。津軽弁までマスターして、地元の信用を得ていました」
一躍、清武氏の名を全国区に押し上げたのが1991年、東京社会部国税庁担当時代のスクープ「野村、日興、大和、山一の四大証券損失補填問題」だ。この記事は、証券取引法の改正を喚起し、後に証券取引等監視委員会が設置されるきっかけとなった。
その後も、第一勧銀総会屋事件や山一証券破綻などの特ダネを連発。いつしか清武キャップが率いる遊軍経済事件班は、「清武軍団」と称されるようになった。
ただ、当時を知る記者からはこんな声も聞こえる。
「たしかに優秀な記者ですよ。国税庁幹部と毎週末ゴルフに通って、ネタ元を開拓していった。でも、彼の上昇志向に嫌悪を感じた記者も多かった。チームで獲ったスクープを自分で“特賞申請”するんです。それで局長賞とかをもらうから、手柄を一人占めしているとの批判も多かったですね」
※週刊ポスト2011年12月2日号