競争を嫌う社会では敗者復活はあり得ない。そして敗者復活のない社会ではすばらしいリーダーは存在しえない。挫折を味わい、敗北の中で自己を徹底的に鍛えるからこそ復活を成し遂げ、リーダーとして社会を牽引していくことができるのだ。歴史学者で東京大学大学院教授の山内昌之氏が解説する。
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リーダーとして成功した人間は、いずれも敗北や挫折、屈辱、屈折といった試練をくぐっている。最新の拙著『リーダーシップ 胆力と大局観』(新潮新書)にも著わしたが、リーダーになるプロセスそのものが、同時に「敗者復活」への挑戦なのである。
戦後の日本政治を仕立てていった吉田茂と幣原喜重郎の2人もそうであった。戦中、吉田は英米派のリーダーとして軍に正面から反抗し、陸軍の憲兵によって投獄された経験を持つ。
外務大臣や内閣書記官長などへの就任もやはり陸軍に邪魔されて叶わなかった。外交官というとエリートのイメージを持たれるが、吉田はまさに挫折と弾圧の連続だった。しかしそうした苦節があってこそ、戦後、首相として米国と渡り合いながら日本をリードしていくことができたのである。
幣原も同様で、戦前は「幣原外交」と称される軍縮平和外交の指導者として陸軍と対立し続け、軍に追われるように政界を退く。だが戦後、内閣総理大臣として「敗者復活」を果たした。
岸信介は戦中、満州国国務院を牛耳り、東條内閣では商工大臣を務めたが、その結果、A級戦犯容疑者として逮捕され、公職追放という形で大きな挫折を味わう。岸に対する歴史的評価は分かれるにせよ、彼が戦後、首相として復帰していくプロセスは敗者復活でもあった。
鳩山一郎は戦後、首相指名を目前にしてGHQによって公職追放となり、追放解除直前には脳梗塞で倒れる。しかし、これらの非運にもめげず復活し、吉田と対決しながら執念で首相の座に就いた。
彼らは時代状況の中で敗北や大きな挫折を経験したが、それを糧として敗者復活を果たしたのである。
その後の池田勇人、佐藤栄作もまた、挫折や屈辱を経て首相となった。池田は熊本の五高から京都帝国大学に進むが、一高→東大という戦前からの大蔵省のエリートコースからいえば傍流中の傍流である。
しかも病気を患って休職や退職を経験し、同期に比べて後れを取り続けた。しかしかえってそのために、戦後、追放などの憂き目にあう同僚や先輩たちを尻目にのしあがっていく。大蔵次官から政界に出て初当選するとすぐに大蔵大臣になったが、これも挫折の中で鍛えられた粘り腰があればこそだろう。
佐藤は五高から東大法学部に進んだが、やはり傍流中の傍流の鉄道省の出身。しかも一高、東大の大秀才でカミソリと呼ばれた兄、岸信介と比較され、進む先々で屈辱や非運をなめてきた。政界に進出してからも佐藤は常に池田の後塵を拝する。彼の政界人生もまた挫折の連続だったが、首相としては8年にわたる長期政権を築いた。
挫折や試練を経てきたという点は、その後の三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)にも共通する。
彼らには、いずれも総理総裁になっていく準備段階で大きな挫折があった。そして挫折の中で驚くほど勉強し、自分が総理総裁になったら何をやるかを徹底的に考え、鍛えぬいていた。それは敗者復活のための必要条件であり、同時にリーダーシップを磨くことにもつながることだ。
しかし、小泉純一郎以後の自民党政権の3人の首相、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎はまず大きな挫折を知らずに育った人たちである。政権が民主党に移ってからも同様で、鳩山由紀夫も菅直人にも挫折はまったくない。政界の超御曹司で金の苦労もしたことがない鳩山はもちろんだが、菅も市民運動のエリートとして頭角を現わしたからだ。
拙著の『リーダーシップ』でも触れたように、鳩山と菅はリーダーとして不可欠な大局観も、胆力も、人心掌握力も身も弱かった。「為政者の覚悟」も持ち合わせていなかったため、普天間問題や消費税増税など日本の政治課題を何一つ解決できなかった。
※SAPIO2011年12月7日号