清武英利巨人軍GMの解任で“時の人”となった読売新聞グループ本社会長・渡辺恒雄氏。「戦後最大の政治記者」ともいわれる渡辺氏へのインタビュー経験を持つジャーナリストの上杉隆氏は、渡辺氏を「記者クラブの象徴」と位置付け、「記者を名乗る資格はない」と述べている。以下、上杉氏の解説だ。
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今回の件で、私は渡辺氏にも清武氏にも与するつもりはない。清武氏に関していえば、これまで散々、大読売と渡辺氏の影響力を背景に虎の威を借りて権勢をふるってきたのに、というのが率直な感想ではある。だが、そのこととは別に、渡辺恒雄氏の存在はもちろん見過ごすことはできない。彼は、日本の特殊な記者クラブ制度の「象徴」であるからだ。
渡辺氏にはロングインタビューをした経験を含め数回は会っているが、その記憶を遡ると、サービス精神旺盛な好人物という印象が強い。質問を受けて曖昧な点が見つかると、すっと立ち上がって自ら資料にあたり、事実関係を確認して戻ってくる。
かと思えば、バカ話を披露して、こちらを緊張させないように配慮を忘れない。たとえば、初めてプロ野球を観戦したとき、スタンドに入ったファウルボールを見て「スタンドに入ったんだからホームランでいいじゃないか」と怒ったというエピソードを、実に面白おかしく話してくれたものだ。
また渡辺氏は、初めて番記者を務めた鳩山一郎氏の命日には墓参を欠かさないし、同氏の秘書だった石橋義夫氏を横綱審議委員会委員長に据えるなど、義理堅い面もある。子供時代に自分が「お馬さん」になって遊んだ鳩山由紀夫・邦夫兄弟のことは、今でも自分の子供のように考えている。
だが、そうした彼の人格を評価した上でなお、私はこういいたい。新聞記者を名乗るのは、いい加減、やめていただけないか。
2007年に福田康夫首相と小沢一郎民主党代表(ともに当時)の大連立騒動があった際、彼は記者に囲まれて「大連立の仕掛け人か」と問われると、「新聞記者だ」という理由で取材を拒否し、立ち去ってしまった。だが、オブザーバーではなくプレーヤーとして政治に手を出した以上、彼に新聞記者を名乗る資格はない。
権力に接近しすぎると、誰しもそこに手を出したい誘惑に駆られる。だが、普通のジャーナリストはそうした誘惑に対して、強い自制心を持って仕事に臨んでいる。なぜなら、それは全く別種の仕事だからだ。
政治家は選挙によって国民の負託を受け、政治資金規正法や公職選挙法などの制約のなかで政治活動を行なっている。官僚も、国家公務員試験を受け資格を得て、公務を行なっている。それなのに、ただの民間人である政治記者たちが、何の資格もないのにプレーヤーとして政治に手を出し、またそれを許してきた日本が異常なのだ。
メディアと権力の間に緊張関係がなく、“なあなあ”でやってきた記者クラブ制度の弊害。その象徴的存在が、渡辺恒雄氏である。
※週刊ポスト2011年12月2日号