9月16日、大王製紙前会長の井川意高氏は、グループ企業から無担保で84億円にのぼる個人名義の借り入れを行っていたとして、辞任に追い込まれた。同氏が働いていた大王製紙の歴史は、1928年、前会長・意高氏の祖父・伊勢吉氏が、愛媛県伊予三島(現・四国中央市)で始めた製紙原料商に始まる。1943年、大王製紙が設立し、伊勢吉氏が社長に就任したが、1962年に経営が破綻。会社更生法適用の申請を余儀なくされた。
このどん底状態の時に大王製紙に入社し、見事に立ち直らせたのが意高氏の父・高雄氏だ。財界関係者の間では、大王製紙の“中興の祖”と呼ばれているという。
その意高氏が幼い頃から帝王学を施した高雄氏。その教育に賭ける情熱は今も地元で語り継がれている。
「井川家はスピードの出る大きなレジャーボートを2隻所有していた。意高氏はそのボートを使って愛媛から瀬戸内海を渡って、神戸の進学塾に通っていたと聞いています」(地元関係者)
それだけではない。
「飛行機で、東京の塾にも通わせていたほか、専属の家庭教師をつけた。その家庭教師は小・中と意高さんを教えていたんですが、成績アップに貢献したことが認められて、後に厚遇で大王製紙に迎え入れられたそうです」(別の地元関係者)
周りの子供が集団登下校する中、意高氏ひとり、黒塗りの車で送迎付き。もちろんドアを開けるのは運転手の役目だ。風邪を引けば大事を取って、たっぷり1週間は休んだという。
その誕生日パーティも異様だった。
「同級生が皆、大きな邸宅に呼ばれた。一体どんな豪華な料理が出てくるんだろうと期待して行ったが、出てきたのはカップラーメン(苦笑)。要するに自分の子だけが特別で、よそ様の子にはこんなものでいいだろうと思っているんじゃないでしょうか」(小学校時代の同級生)
※週刊ポスト2011年12月2日号