厚労省が発表する簡易生命表(2010年)によると、60歳男性の平均余命は約23年、60歳女性は約28年。60歳で会社を定年退職しても、30年近い「老後」が待っている。この長い余生をどんな心構えで過ごせばいいのか。迫りくる死期をどう受け止めるのか。このたび、エッセイ『これでおしまい』(文藝春秋刊)を上梓し、「我が老後」の“終了”を宣言した作家の佐藤愛子氏(88)が、米寿にしてたどりついた老いの心境を語る。
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別に人生に一区切りをつけようと思って書いたわけじゃないんですよ。編集者がいつまでも「書け、書け、書け」っていうから、このタイトルにしたら、もういわないだろうと思ったの。
だんだん歳をとると、生活が狭くなるでしょう。家にじっとしてテレビや新聞だけで世の中を眺めていると、見聞も広まらないし、だんだんボケてくると、「これ、前に書いたんじゃないか」としょっちゅう考えてしまって、筆が進まないんですよ。
88歳になって書いている作家ってほとんどいないでしょう。元気なのは瀬戸内寂聴さん(89)くらいですし。阿川弘之さん(90)も、もう書かないとおっしゃったし。
遠藤周作さんが亡くなったとき(1996年)は、まだ友達は大勢生きていたんですよ。でもこないだ北杜夫さんが亡くなったら、新聞社から私のところに問い合わせが殺到したんですよ。朝の6時から午後3時まで電話が鳴り止まなくて、へとへとになりましたよ。
そのときに、もうみんないなくなっちゃったんだな、最後の友達がとうとういなくなっちゃったなと感じましたね。私ひとりが生き残ってしまったという寂しさを感じます。
若いころは冥土に向かう行列の一番前に親がいて、それから兄や姉がいて、われわれは裾のほうにいたわけです。ところが、だんだん前がいなくなって、結局、自分が一族の先頭になっちゃうのね。冥土からの風をさえぎってくれる人は誰もいなくなって、顔に向かって風が吹きつけてくるんですよ。この気持ちはこの歳になってみないとわからないと思いますけどね。
※週刊ポスト2011年12月2日号