薄曇りの11月中旬の週末、兵庫・宝塚市内の斎場に女優・南野陽子(44)の姿があった。この日、11月10日に脳出血と心内膜炎で亡くなった南野の母・久美子さん(享年68)の葬儀がしめやかに行われていた。マスコミの姿が一切なかった葬儀の模様を参列者が語る。
「葬儀は家族葬でした。本当に近しい人しかいませんでした。100人ほどはいれる部屋はガラガラで、半分ほどしか埋まっていませんでした」
家族葬を強く希望したのは喪主を務めた南野の父親だった。
「お父さんは“陽子の母でもあるが、私の妻なので静かに送りたい”と以前から周りにいっていました。3年ほど前には、夫婦で斎場を訪れ、“私たちの葬儀は家族葬にしてほしい”とも相談していたようです」(南野家の知人)
明るく気さくな性格の久美子さんと南野は、何でもわかり合える親友のような関係だった。芸能関係者はこう話す。
「実は、久美子さんは若いころは芸能界を目指していたそうです。華やかな世界が好きだったそうで、娘の芸能界入りを後押しして、その後も東京に行って南野の面倒を見てました。南野が『笑っていいとも!』のレギュラーになったときは、“タモリさんに、私も会いたい”なんていって、自分のことのように喜んでいたそうです」
葬儀では、そんな母親を笑顔で送ろうと、南野は気丈に振る舞っていた。だが、最後の別れの場面、棺の前でかがみ込んだ南野の目からは涙がこぼれ、嗚咽が止まらなかった。その涙は、最愛の母との別離だけでなく、こんな思いがあったようだ。葬儀に参列した知人が、南野の複雑な胸中をこう明かす。
「陽子は葬儀について、“お母さんは明るくて華やかなことが好きだったから、できるだけ大勢のかたに参列してもらい、別れを惜しんでもらいたかった。大好きだったタモリさんにお別れの言葉をいただいたりして…。でも、お父さんの気持ちも大切にしなければいけない。残された家族でいい争ったりしたら、いちばん悲しむのはお母さんだから”と話していました。寂しそうな顔でしたね」(別の南野家の知人)
※女性セブン2011年12月8日号