中国で車にはねられ道端に倒れていた2歳の女の子が、通行人18人に「素通り」された事件は、日本でも大きく取り上げられ話題となった。背景にあるのは著しい経済成長の裏側で、中国社会に生まれた「歪み」である。ジャーナリストの富坂聰氏が解説する。
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広東省仏山市で10月13日に起きた2歳女児のひき逃げ事件、通称「悦悦(ユエユエ)ちゃん」事件。ひき逃げした2台の車の運転手はもちろん、地面に倒れた悦悦ちゃんを見ても知らぬふりで通り過ぎた18人もの通行人には、日本をはじめ世界中から大きな批判が集まった。そして中国国内のメディアでは〈中国人の道徳観の低下〉がテーマとなって大きな論争を巻き起こすきっかけとなったのだった。
そもそも安徽省のテレビが報じたこのニュースはネット上で話題となり、ひき逃げ犯と悦悦ちゃんを見殺しにした通行人を攻撃する書き込みが溢れ、これを受けて全国のメディアがこの問題を取り上げるようになった。
その批判のキーワードは「冷漠社会(苦しむ他人に無関心な社会)」である。
ただ、「冷漠社会」への警告が「悦悦ちゃん」事件から始まったかといえばそうではない。今回は小さな命に対するモラルハザードが問題にされたが、中国社会では今年に入って老人に対する「冷漠」をテーマにした記事が目立っていた。
例えば、上海で地下鉄追突事故が起きた9月末、事故を大きく報じた北京の都市報『京華時報』は、その隣で『老人を助けないのは、中国人の道徳観ではない』と題した記事を掲載している。
こうしたメディアの「反・冷漠」論調は、「悦悦ちゃん」事件で勢いを増している。
その中身を概観すると以下の3点に集約されてくる。
一つは、中国社会が都市化することで流動人口が増加し、隣人の顔すら知らない人間関係の希薄な社会になっていることを問題視するもの。
二つ目は「冤罪」の増加で人々が疑心暗鬼になっている風潮が挙げられる。ここ数年、老人を助けたと主張する若者が、逆に加害者として告発されて賠償金を支払わされるというケースが続いているのだ。
この問題はいくつかのケースで、双方の主張が最後まで食い違っているため、真相ははっきりしないのだが、例えば今年8月に江蘇省でバスの運転手が道で倒れている老人を助けたところ、老人の息子から加害者として告発されたケースは、その典型だろう。
結局、事故の一部始終がドライブレコーダーに記録されていたので、運転手が冤罪に問われることは避けられたものの、同様のケースが頻発しているだけに、他人の問題に首を突っ込むことを避けたがるという分析である。
そして三つ目は、生活に追われて他人を気遣うどころではない人々の事情があるとされる。特に「悦悦ちゃん」事件の現場となった仏山市のように出稼ぎ労働者の多い都市部ではなおさらという分析だ。
いずれも理由として思い当たることばかりで、「18人無視」の背景にはこれらの複合的要素があると思われる。
※SAPIO2011年12月7日号