2006年3月、富山・射水市民病院で末期がん患者など7人の呼吸器を外し延命治療を中止していたことが報道された。2008年7月、元外科部長ら2人が殺人容疑で書類送検されたが、2009年12月、富山地裁は一連の医療行為をみて呼吸器を外した行為が死期を早めたとはいえないと判断、不起訴処分(県議不十分)とした。
この「延命治療」の是非について女医の宋美玄さんと医療ジャーナリストの熊田梨恵さんが語り合った。
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熊田:年老いた宋先生は認知症になり、終末期を迎えています。
宋:は!? いきなり何ですか、まだうら若き30代やのに~。
熊田:例えばの話です! 読者の皆様も一緒にちょっと想像してみてください。寝たきりで自分で考えたり判断したりはできていません。のみ込む力もなくなりご飯を食べられなくなってきたので、このままだと栄養を摂れなくなり、死期が近づいてきます。でも、手術をしてお腹の上から胃に向かって穴を開け、そこから栄養剤を流し込む「胃ろう」を造れば栄養摂取できるので、生き続けることができます。先生なら、もしそうなったときに胃ろうをしたいですか? したくないですか?
宋:今回はしょっぱなから白熱、しかも私が答える番ですかいな。うーん…。最近周りでも胃ろうについて聞くことがありますわ。難しいけど、私やったら、意識のない状態で流動食を直接胃に流し込まれて、生かされているというのはちょっとどうかなあ。
熊田:では白熱第2問! 先ほどの状態で、先生の家族は、医師から胃ろうを造るかどうか迫られました。先生に長く生きてもらいたいと思った家族は、胃ろう造設を決定。先生はそのまま10年以上生きることになりましたが、栄養剤を注入できるのは家族か医師、看護師など医療職のみで、ヘルパーはできません。注入には約2時間かかり、朝昼晩と約6時間家族はつききりになるうえ、全身介護です。介護に疲れ果てた家族は、これが先生や自分たちにとっての幸せなのだろうかと悩みますが、もちろん、先生は何も答えてくれません。さて、本当に胃ろうは必要だったのでしょうか?
宋:うわー、また難しい質問を! 家族が望んだこととはいえ、それで介護が大変になってしまっていたら、つらいから私も嬉しいとは思えないような…。でも、家族は本人が生きていることが幸せで…、あーっ、わかりませんわ。難しい! しかし、なんでいきなりそんな話を?
熊田:胃ろうをテーマに取材してるんです。ある調べでは、胃ろうを入れている患者は国内に40万人といわれ、その数は年々増えているんですよ。
宋:結構な数ですね。でも、胃ろうの何が問題やと思ってはるんですか?
熊田:釈迦に説法ですけど、人間の延命には「呼吸」「透析」「栄養」の3種類があって、「呼吸」は人工呼吸、「透析」は人工透析、胃ろうは「栄養」に該当します。患者が食べられなくなってきたとき、医師は胃ろうなどで栄養を摂る方法を提案します。手段があるのに勧めなかったら訴えられる可能性がありますからね。家族は「死んでしまうかも」と思って、慌てて胃ろうを決めます。さっきの話みたいに、結果的に本人や家族にとって良い選択だったかどうかわからないまま実施されているケースが、多くみられるんです。
宋:なるほど~。しかも日本の場合、途中でやめたいと思って栄養剤の注入を中止したら、医師が殺人罪に問われる可能性がありますからね。いままでも、家族の頼みを聞き入れて延命を中止した医師が罪に問われた「射水市民病院事件」なんかがありましたな。こうして萎縮医療に拍車がかかり、患者側に提供される情報も少なく、望まない医療が過剰に行われている可能性があると…。
熊田:内視鏡の技術が発達して、胃ろうを造るハードルも低くなってきました。もちろん、利点もたくさんあります。ただ、今後の高齢者人口増とともに胃ろう患者が増えれば、さらに医療費は必要になります。望んでいない医療に私たちの税金が使われるかもしれない、いや、いま現在すでにそうなっている部分はあると思います。医療側と患者側の情報や意識の差、制度の未整備からこういう事態が引き起こされているのが、問題だと思うんですよね。
※女性セブン2011年12月8日号