ソフトバンクホークスの日本シリーズ優勝で幕を閉じた今年のペナントレース。ソフトバンク日本一の「要」は、間違いなく王貞治・球団会長だった。日本一の瞬間、王会長は秋山幸二監督を見やりながら感慨深げにこう呟いた。
「秋山は上手になったな」
監督・秋山を育て上げた達成感はひとしおだったのだろう。ダイエーホークスの中心選手として活躍した秋山は、2002年に引退した時から、誰もが認める「将来の監督候補」だった。だが、当時の王監督は、2005年にスタッフ入りした秋山を一軍のコーチではなく、日の当たらない二軍監督に指名した。
それは自身の反省があったからだ。王氏は1980年に現役引退後、3年間、藤田元司監督のもとで巨人の助監督を務めた。牧野茂ヘッドコーチとともに「トロイカ体制」と呼ばれ注目を浴びたが、後に王氏はこう述べている。
「助監督というと聞こえはいいが、責任のない立場で、大事なことは全て藤田さんが決断していた。また、コーチはいわば専門職なので、責任の範囲も限られる。もし将来、監督を目指すなら、自分の責任で全てに決断を下す二軍監督の方がずっといい修行になる」
王氏にとって秋山は、将来、自分の職を奪う立場の人間だった。「自分より実績を作ってほしくない」という屈折した心情をのぞかせても不思議ではない。だが、王氏は秋山には自分と同じ轍を踏ませまいと考えたのである。
2008年に監督の座から引いた時、王氏はこう語った。
「院政を敷いているように見られるのが嫌だから、後任監督人事には一切タッチしない。会長という立場で球団に残るが、僕の存在が現場の邪魔にならないようにしたい」
こうした“親心”が開花したのが、今回の日本一だったのだ。実際、王氏は現場に口を出さず、GMとして編成で力を尽くした。
昨オフに獲得した横浜の内川聖一は、首位打者を獲得するなど1年を通して大活躍。同様に西武からFA移籍した細川亨も、正捕手としてチーム防御率2.32という12球団一の投手成績を支えた。
それは常に大砲を求めていた「王監督時代」とは違う補強だった。一つ一つに緻密な理由がある。特にカブレラの補強は、昨年、対ソフトバンク戦の打率4割台とカモにされていたオリックスの主砲を引き入れて敵の脅威を封じ、さらに松中信彦、小久保裕紀という年齢的に衰えの見える主砲に奮起を促した上、万が一故障の際には十分な代役となるという、二重、三重の効果を生んでいた。
目的意識の下にきちんと絵を描けているからこそ、チームにブレがない。「監督だと目の前のプレーや勝敗にカッカしてしまうから」と語っていた王氏は、現場を離れたからこそ、冷静にチームの戦力を分析し、必要な人材が見えるようになったのかもしれない。
そんな王氏を、球界は休ませようとしない。ソフトバンク会長以外にも読売巨人軍OB会会長、日本プロ野球名球会会長など、数々の役職を兼ねている。監督時代よりもむしろオフは減り、全国を飛び回る毎日だ。
「ユニフォームを脱いだら少しは落ち着けるかと思ったけど、かえって忙しくなっちゃってね」
※週刊ポスト2011年12月9日号