天皇陛下のご退院で国民の間には、安堵の念が広がった。しかし、ご入院が18日間の長期にわたるなか、皇室のあり方をめぐる議論も、これまでとは異なる展開を示し始めている。
本誌11月25日号では摂政設置についての議論を取り上げたが、さらに一歩踏み込み、「秋篠宮を摂政に」と問題提起する人がいる。元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏がいう。
「両陛下には十分休養をとられ、いつまでもお元気でいて頂きたい。そのためには摂政宮の設置が急務です。しかし、皇太子殿下は今、雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。大震災に際しても、ご高齢で病気でも苦しまれている両陛下が被災地へのお見舞いに何度も行かれているのに、皇太子殿下、そして雅子妃のお見舞いの回数は少なかった。
まず雅子妃に本格的に療養して頂き、皇太子殿下も雅子妃の治療に専念されてはどうか。摂政を秋篠宮殿下にお任せし、雅子妃が回復されてから、再びご公務に戻られればいいでしょう」
摂政とは、日本の歴史においては、天皇の勅命を受け、天皇に代わって政務を執る職をさす。現在その資格者については皇室典範で定められており、順位は【1】皇太子、皇太孫、【2】親王および王、【3】皇后、【4】皇太后、【6】太皇太后、【7】内親王および女王、と決まっている。
皇室典範の第18条で「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」は、皇室会議の議によって「摂政又は摂政となる順序を変えることができる」とも規定されているが、現状では秋篠宮が摂政に就任することはできない。そこで佐々氏は、秋篠宮が摂政に就任できるように皇室典範を改正すべきだとも主張する。
「そして弟君の秋篠宮文仁親王を『摂政宮』とし、秋篠宮妃紀子殿下を『摂政宮妃』とする。悠仁親王には当代最高の傅役(かしずきやく)をつけ、幼いうちから帝王学をお教えすべきです。男系の将来の天皇を傅育(ふいく)しなければなりません」
天皇家で唯一の男系男子の孫として、将来の皇位継承が確実な悠仁親王には、早いうちから帝王学をお教えする必要がある。そのためにも秋篠宮殿下が摂政宮となり、紀子妃殿下も摂政宮妃として皇后学を学んでおくべきというのである。佐々氏はこの持論を講演でも話し、雑誌にも寄稿している。
佐々氏が秋篠宮摂政論を考えるようになったのは、1975年に起きた「ひめゆりの塔事件」での経験が原点だという。当時まだ皇太子夫妻だった天皇陛下と美智子皇后が、沖縄海洋博開会式に際し、昭和天皇のご名代として皇族として戦後初めて沖縄を行啓された時のこと。ひめゆりの塔を訪れた際に、過激派が火炎ビンを投げつけた。この時、警備責任者を務めていたのが佐々氏だったのである。
「爆発した火炎ビンの炎は数メートルのところまで近づきましたが、その時の両殿下のお振る舞いは忘れられません。事件の現場にはひめゆりの生き残りの女性もいたのですが、陛下は警備の者を振り払ってその女性の元に戻り、『ご無事でしたか?』と心配して声をおかけになったんです。また妃殿下もご立派で、何事もなかったかのような表情で行事を続けられた。
現在の状況では、こうした両陛下のお気持ちを継ぎ、国民の支えとなれるのは秋篠宮殿下です。そして国母たる皇后の任に耐えるのは紀子様ではないでしょうか」(佐々氏)
※週刊ポスト2011年12月9日号