11月21日に喉頭がんのため亡くなった立川談志さん(享年75)について、多くの噺家、芸人たちが、憧れの人だったと口をそろえる。天才、奇才などと呼ばれ、その才能にはたぐいまれなものがあった。破天荒で毒舌を吐きまくった印象が強いが、その素顔は人情味にあふれる、優しき男だった。
1997年には食道がんが見つかり、手術で摘出した談志さん。このとき開いた記者会見ではたばこをふかしながら、「(この病院は)いいPRになったよな。(宣伝効果を金額に換算すると)億じゃきかねぇだろ」と笑ってのける破天荒ぶりに、集まった報道陣も驚いた。
しかし、ここには談志流のやさしさが込められていた。
「実は手術をした病院は故・逸見政孝さんががん治療を受けた病院でした。逸見さんが亡くなった後、病院はかなり強いバッシングにあっていました。あの毒舌はそれを踏まえた談志流のエールだったんです」(談志さんの知人)
しかし、病魔はその手を少しも緩めてはくれなかった。2008年5月には喉にポリープの疑いがあるということで検査入院したところ、咽頭がんであることが発覚。放射線治療などで一時は復帰への道が開けたが、2010年11月には、咽頭がんが再発した。
このとき談志さんには、声帯摘出という選択が突き付けられた。「手術をすると声を失う」という事実に、談志さんはなんの迷いもなく、「プライドが許さねぇ」と、手術を拒否した。
日ごとに大きくなるがん細胞によって気道は狭められ、症状は悪化の一途を辿り、今年3月には気管切開手術を受けざるを得なくなった。とうとう声も出せなくなり、食事はおろか飲みものすら喉を通すことができず、チューブで胃に直接栄養を送り込む処置が行われた。体力はあっという間に奪われ、体重は50kgを切るほどやせ細った。
結局、談志さんの高座は、気管切開をする直前の3月6日、立川流一門会で『長屋の花見』と『蜘蛛駕籠』を披露したのが最後となった。
※女性セブン2011年12月15日号