今年にはいって、北アフリカのチュニジアでは、民衆蜂起による「ジャスミン革命」が起きた。この民主化運動の流れは他のアラブ諸国にも広がり、リビアでは、最高権力者だったカダフィ大佐が殺害されたことも記憶に新しい。こうした中東やアフリカの紛争地と聞くと、危険なイメージが浮かぶ人も多いだろう。その紛争地で活躍する日本人女性がいる――瀬谷ルミ子さん、34才。職業は「武装解除」だ。
初めて出版した著書『職業は武装解除』(朝日新聞出版)では、この職業を選んだ経緯や交渉現場の話、危険な体験などリアルなエピソードを綴っている。
瀬谷さんは、DDRの専門家。DDRとは、武装解除・動員解除・社会統合のことで、内戦後の紛争地で国に忠義を誓う兵士から、強制的に仕立てられた少年兵まで、兵士たちから武器を回収し、除隊させ、職業訓練や教育の場を与えて市民生活に戻すのが主な仕事だ。これまで専門家として国連やNGO団体などに籍を置き、紛争地に赴いてきた。
現在は日本紛争予防センターの事務局長として、ソマリア、南スーダン、ケニア、マケドニアに現地事務所を設置し、紛争地の安全確保や現地住民への復興支援活動を行っている。
こう聞くと屈強な人をイメージするが、身長は156cmと小柄。笑顔が朗らかな女性だ。DDRの専門家は世界でも100人程で、日本人で女性というのはさらに珍しい。だが、27才にしてアフガニスタンのカルザイ大統領から極秘会議に呼ばれ、武装解除の妨げになっている国防大臣の解任について助言を求められた経験も持つ。
仕事柄、危険とは常に隣り合わせ。アフガニスタンでは、勤務先のすぐ側にロケット弾が落ち、ルワンダでは兵士に取り囲まれ銃で脅されたことも。そんな体験も、「それほど鬼気迫るものはなかったです」と、こともなげに語る瀬谷さん。高熱や吐き気をもよおし、死に至ることもあるマラリアには8回もかかっている。
「そんなに体が強いほうではないと思うんです。何でも食べるから、よくお腹も壊しますし。マラリアは、きついといえばきついですけど、薬をのんで安静にしていれば大丈夫というのがわかっているので、未知の病気にかかるより安心でしたね」
語る内容はシビアだが、口調は和やか。しかも、瀬谷さんには同業の婚約者がいるが、アフガニスタンで働く日本人の彼とは遠距離婚約中だ。その雰囲気に、一瞬、彼女が携わる仕事の過酷さを忘れそうになる。
そもそも、なぜ彼女は紛争地で働くことを選んだのか。
きっかけは、進路を考える高校3年生のときに新聞で目にしたルワンダの内戦を伝える一枚の写真だった。死に向かう母親の側で泣き叫ぶ子供の写真を、茶の間でお菓子を食べながら眺める自分という構図。衝撃とともにたくさんの「なぜ?」が浮かんだ。
権力者に市井の人々が翻弄される理不尽さ、自分に役立てることはあるのかというもやもやした思い……。だが、努力さえすれば自分は状況を変えることができることに気づいた。進むべき道が見え、そこからは迷わず突き進んできた。
※女性セブン2011年12月15日号