みうらじゅん氏は、1958年京都生まれ。イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャン、ラジオDJなど幅広いジャンルで活躍。1997年「マイブー ム」で流行語大賞受賞。仏教への造詣が深く、『見仏記』『マイ仏教』などの著書もある同氏が、戒名について考察する。
* * *
戒名の問題を考えようという時に、落語家の立川談志師匠の訃報に接した。師匠は生前に自ら戒名を決めていたらしい。
『立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)』――。
故人を彷彿とさせる「家元」「勝手」という単語の狭間に“うんこくさい”というフレーズが入っている。
ビートたけしさんが、『21世紀毒談』の連載(週刊ポスト12月2日号)で、〈オイラの場合、『女好院太摩羅珍宝大居士(じょこういんふとまらちんぽうだいこじ)』〉なんて自分の戒名を考えていたから、「ああ、立川流(たけし氏も立川流の弟子)の人はうんことかちんこが好きなんだな」とか、こんな戒名、田舎のふつうのおじいさんがつけたら、遺族や親戚の人たちが困るだろうなとも思った。
ところが、談志師匠は一方で、「お経はいらない、骨は海に撒いてくれ(つまりお墓はいらない)」って“遺言”していたともいう。あれ? お経はいらないってことは、端的にいえば、仏教的な葬送は必要ないってことですよね。それなのに自ら戒名を考えたってことはどういうことか?
もしや戒名の本当の意味を知らなかったのか? いや、談志師匠ほどの博学な人にそれはありえない。だとすれば、師匠は一見、人を食ったような戒名をつけることによって、「自分に戒名なんてもんは必要ない」と訴えたかったのではないだろうか。
つまり、「雲黒斎」は、仏教へのアンチテーゼを表明したもの。アンチとウンチをかけた絶妙の戒名だと思うんだ。その戒名が、新聞やテレビで慎ましげに報じられているのを見て師匠はきっと天上からほくそ笑んでいるに違いない――。
※週刊ポスト2011年12月16日号