8月23日の引退会見から約1か月の間、島田紳助(55)は沖縄・那覇空港から車で1時間ほど北上した小高い丘の途中にある賃貸マンションの一室で生活を送っていた。しかし、紳助がそこから忽然と姿を消したのは9月下旬のこと。行き先については「海外逃亡説」「東京潜伏説」など諸説飛び交っていたが、ある関係者の話では彼が新たに身を潜めた場所は、京都市内にあるホテルとされていた。
そのホテルを訪ねると、外の喧噪が嘘のような気品漂うロビーを抜けた客室は、和のテイスト。大きな窓からは京都の街が一望できた。ホテルからわずか徒歩5分のところに総合病院がある。同ホテルに滞在した紳助は、10月20日まで毎日のようにその病院へ通っていたという。
その10月20日――紳助の父親・長谷川民雄さん(享年87)が老衰のため亡くなった。病院には、民雄さんが入院していたのだ。
「紳助さんのお父さんは、3月から寝たきりになって、自宅で療養してはりました。7月に肺炎で入院して、9月末には病院のホスピス施設に移ったんです。でも10月にまた肺炎になって、一般の病棟へ戻ったと聞いてます。亡くなる数日前に一度危ない状態になったことがあったんですが、そのとき紳助さんは一晩泊まって、つきっきりで様子を見たそうです」(紳助一家と親しい知人)
そして亡くなった当日、紳助は朝から病室に駆けつけると、最期は幸せそうな顔ですーっと眠るように逝った父親を、涙をこらえて看取った。
父親の葬儀は、紳助の実家に近い斎場で営まれた。喪主は母親で、紳助を含め、親族など30名ほどの家族葬だった。
「きちんと親孝行したさかいに、泣くことはない」
少し痩せた喪服姿の紳助は、そう挨拶したが、その目に浮かぶ涙には悔恨の色がにじんでいた。愛する父親を、隠遁の身で野辺送りすることになることなど、彼の人生計画の中にはきっとなかったはずだ。紳助の家族を知る人物がこうつぶやく。
「紳助さんの引退騒動がなければ、ものすごう立派にお葬式しはったやろうと思いますけどね。親しかった近所の人たちも、民雄さんが亡くなったことを、しばらくして回ってきた回覧板で知った、いう人も多いんですわ。ああいうことで辞めはったさかいね。密葬みたいな形でしはったんでしょう」
※女性セブン2011年12月22日号