70年前の12月8日、6隻の空母を中心に計37隻からなる大機動部隊が真珠湾を襲った。第1波空中攻撃隊は49機の水平爆撃隊、40機の雷撃隊、51機の降下爆撃隊、43機の制空隊から成っていたが、その総隊長を務め、奇襲成功を意味する「トラ、トラ、トラ」の電文を打たせたのが、当時39歳だった海軍中佐の淵田美津雄である。
だが、真珠湾の英雄は戦後数奇な運命を辿る。1951年にキリスト教の洗礼を受け、1952年から15年ほどの間、伝道団体から招かれてたびたび米国を訪れ、各地で伝道に努めたことだ。戦後、公職追放され、故郷奈良で農業に勤しんでいた時、「父よ、彼らを赦し給へ、その為す処を知らざればなり」という聖書に記されたイエスの言葉に出合い、啓示を受けたことが入信のきっかけだ。この言葉に従えば争いはなくなる、と淵田は信じた。
「パール・ハーバーのフチダ」は米国で有名であり、淵田が参加する伝道集会はいつも大きな反響を呼んだ。敵意を露わにされることもあったが、多くの場合、英雄視された。何度もの渡米の機会に、終戦時の大統領だったトルーマン、最初の東京空襲を指揮したドゥーリットル、太平洋艦隊司令長官だったニミッツ、そしてマッカーサーといった、因縁深い多くの重要人物に会っている。
死去したのは1976年。葬儀は2度行なわれた。1度目は身内によるキリスト教式のもの。2度目は多数の海軍関係者が参列した神式によるもので、軍歌『海ゆかば』が流れた。淵田は最後まで「真珠湾攻撃の英雄」だった。
(文中敬称略)
※SAPIO2011年12月28日号