8月23日に引退会見を開いてから、隠遁生活を続けている島田紳助(55)の父親・長谷川民雄さん(享年87)が10月20日、京都市内の総合病院で老衰のため亡くなった。紳助は9月下旬から京都市内のホテルに宿泊し、父親が亡くなるその日まで毎日のように病院に通っていたという。
紳助の父・民雄さんは1924年に京都市に生まれた。染め物店の次男で、祖父が「商売人は勉強する必要はない」という考えだったため、幼いころは勉強させてもらえなかったという。それでも、現在の大阪外語大から国鉄(現・JR)にはいった。そんな経験から、ひとり息子の紳助には小さいころからしっかり勉強させたいと思い、小学3年生のときから家庭教師をつけた。
しかし紳助は、勉強を強制する父親が嫌いでたまらなかった。「そのせいで自分はアホになった」と、後年たびたび振り返った。その父親は生き方が下手で、たばこも吸わない、酒も飲まない、浮気もしない、毎日午後6時45分に帰ってくるという真面目人間だった。
そんな父親を紳助は、「何がオモロイねん、このおっさん。ハトみたいな人やな」とインタビューなどで語っている。国鉄の昇格試験で筆記はパスするのに、最後の面接では受からない。そして落ち込む父親の背中を見て、子供心に「人間、真面目だけではいかん」という思いを強くしていった。
それが紳助のツッパリ人生の始まりでもあった。中学時代は教室の窓ガラスを割ったり、盗品を売りさばいたり。高校にはいると、車上荒らしで少年鑑別所に送致されたりもした。それでも民雄さんは「話せばわかる」という考えだったから、紳助には一度も手をあげたことはなかった。紳助が漫才師になるといったときも猛反対したが、最後には「お前の好きにせえや」と背中を押した。
厭い続けた父親だったが、紳助が芸能界のトップにのぼりつめることができたのは、売れないときも陰ながら応援し、いつも味方でいてくれた父親あってこそ。「親の力はひとつももろてへん。オレの力や」などと悪ぶって豪語してきた紳助だったが、その裏でしっかり親孝行もしていた。
「実家はもともと長屋だったんですが、何度も増築して、いまでは3階建ての立派な一軒家。“年金だけでは足らんやろ?”と、20年以上も毎月30万円の生活費を両親に渡してきたんです。東京での仕事で忙しくなってからは、近所の人のところに“親をよろしくお願いします”と挨拶して回ったそうですよ」(芸能関係者)
※女性セブン2011年12月22日号