12月9日、フィギュアスケート浅田真央選手の母・匡子(きょうこ)さんが、肝硬変のため死去したとマネジメント会社が発表した。2010年3月18日号の『女性セブン』で本誌は、匡子さんの浅田選手にかける想いを取材していた――。
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匡子さんは、真央が5才のときに2才年上の姉・舞とともに近所のスケート教室に通わせた。
「匡子さんは両親が早くに亡くなったこともあり、苦労されたんです。そんなこともあり、自分たちの娘にはやりたいことを何でもやらせてあげたいと思いバレエからジャズダンス、ピアノなどを習わせていました」(浅田家の知人)
他の習い事は続かなかった真央だが、フィギュアは喜んで通った。
「スケートは大好き!」
真央は朝から晩までリンクで滑り続けた。
匡子さんはスケート教室を見学しては、コーチについて細かに調べはじめた。
真央が小学生のとき、日本人初のフィギュア五輪メダリスト伊藤みどり(40才)を育てた名コーチ、山田満知子さん(66才)の存在を知った。すぐに直接訪ね、頭を下げた。
「明日から一日も休まず練習させますから、真央を教えてください」
当時の様子を匡子さんはこう振り返る。
「子供たちと約束したことがあるんです。それは、やると決めたことは投げ出さないで最後までやり遂げるということ」
早朝6時から深夜1時半まで、姉妹の練習は20時間近くに及ぶときもあった。
「匡子さんは朝から晩まで姉妹に付きっきりでした。コーチに積極的に質問をし、あいた時間にはコーチが“少し休ませたら”というまで練習を続けさせていました。真央ちゃんがお母さんを怖がって、お父さんばかりにくっつくようになった時期もあったほどでした」(匡子さんの知人)