2006年3月、富山・射水市民病院で末期がん患者など7人の呼吸器を外し延命治療を中止していたことが報道された。2008年7月、元外科部長ら2人が殺人容疑で書類送検されたが、2009年12月、富山地裁は一連の医療行為をみて呼吸器を外した行為が死期を早めたとはいえないと判断、不起訴処分(嫌疑不十分)とした。この「延命治療」のひとつである「胃ろう」の是非について女医の宋美玄さんと医療ジャーナリストの熊田梨恵さんが語り合った。
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熊田:タブーになると、正面から議論できないから悩む人も出てくると思います。胃ろうなら、「本当によかったのかな」と思いながら誰にもいえなくて悶々としていたり、介護に疲れ果ててしまって介護殺人が起こったり…。生きることや死ぬことへの無関心が、こういう問題を引き起こしていると感じます。だから安易な胃ろうも増えているのではないかと。
宋:普段考えてないと、いざそういう事態になったときに慌てるというのはありますわ。でも、ほとんどのかたが大体そうやと思うんです。健康なときに病気になったときのこととか、死ぬときのことなんてあまり考えない。
でも知識として知っておかないと、いざ追い込まれたときの対応に違いが出てくると思います。胃ろうも「いまの状態が本人にも家族にも幸せだとは思えないから注入をやめたい」と思っても、やめたら医師が罪に問われる可能性があるので、そうはいかない。追い込まれて初めて、そういう現実を知るかたが多いと思います。
熊田:治療は、始めることはできますけど、やめることができないんですよね。そこが日本は凄くアンバランスだと思います。胃ろうを始めることはスムーズにできても、やめようと思ったら殺人罪に問われるかもしれないなんて。
始めた治療をやめられない結果、人として尊厳のある状態とは残念ながらいえない形で生きているかたもおられます。認知症末期で本人は意識もなく寝たきりなのに、胃ろうで生かされていたりとか…。いまの日本は尊厳ある状態での「生」をまっとうできなくて、その結果尊厳死ができない状態がある気がします。
※女性セブン2012年1月1日号