チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世とともに、インドに亡命しているチベット仏教ナンバー3のカルマパ17世が12月初旬、スパイ容疑などで地元警察によって起訴されていたことが分かった。仮に、裁判で有罪の判決が出れば、カルマパの宗教生命は絶たれたのも同然で、ダライ・ラマの宗教的権威にも大きな影響が及ぶのは必至だ。
ことの発端は今年1月下旬、インド北西部ヒマチャルプラデシュ州ダラムサラにあるカルパマの寺院を地元警察が家宅捜索した際、約110元(約1320万円)もの中国元札を含む100万ドル(7800万円)相当の外貨を発見したこと。インド警察は今年1月26日、亡命政府周辺で中国人とみられる2人の男が乗った自動車から21万9000ドル相当のインドルピーの紙幣の束を押収。この金がカルマパの住む寺院から運び出されたことを突き止め、その翌日、カルマパの寺院を家宅捜索したのだった。
カルマパはチベット仏教の4大宗派のひとつ、カギュ(黒帽)派の最高位の僧で、チベット仏教ではダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐナンバー3の高僧となる。
中国チベット自治区で生まれたカルマパは、14歳まで中国で生活していたが、2000年1月、ダライ・ラマを頼ってヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命した。脱出を決意したカルマパは、暗闇に隠れ、僧院の屋根から待機していたジープへ飛び乗り、インドを目指した。
カルマパと姉を含む一行は、誰にも発見されることなくネパールのムスタンに到着した。そして、インド国境を越え、8日後、カルマパはようやくダラムサラにたどり着いた。カルマパは、まっ先に、ダライ・ラマと謁見。ダライ・ラマも1959年3月、中国軍の追っ手を逃れて、雪のヒマラヤを越えて同じように脱出を図っており、カルマパを大いに慰労した。
【スパイ疑惑を持たれた背景とは】
しかし、インド側は違う見方をしていた。厳冬のヒマラヤ越えは大人でも命の危険を伴う。当時14歳だったカルマパ少年がヒマラヤを越えたのは中国当局の助けがあったためで、カルマパが中国での何不自由ない生活を捨てて亡命したのも、中国のスパイとして送り込まれたためではないか、と疑っていた。
インド警察は数年にわたって秘密裏にカルマパ周辺を調べていた。その結果、カルマパの側近が亡命政府周辺の数百か所の土地を他人名義で購入していたことや、カルマパ自身が2009年、香港で中国当局者と接触していたことが分かった。内偵捜査を続けた結果、ようやく不審な中国人を捕らえ、カルマパの寺院を家宅捜索したのだった。カルマパは100万ドルもの外貨などは「信者からのお布施」と証言している。
気になるのはダライ・ラマの警備体制で、昨年夏には亡命政府周辺で中国軍のスパイとみられる不審な中国人男女2人が逮捕されている。ダライ・ラマ自身は「カルマパがスパイであるはずがない」と弁護しているが、ダラムサラのインド政府筋は「亡命政府はダライ・ラマの健康不安に加えて、中国のスパイや刺客の存在に相当神経を使っているようだ」と指摘する。
インド警察は札束の出所を調べるとともに、カルマパが中国政府のスパイの疑いがあるとして、ダライ・ラマ周辺の警備を強化。その一方で、外為違反容疑やスパイ容疑、文書偽造容疑などでカルマパを起訴したのだった。裁判所では近く審理を開始する予定だ。
亡命チベット人はインドのほか、日本や欧米など10数か国でコミュニティを形成しているが、複雑な面持ちでこの裁判の行方を注視している。