11月21日に喉頭がんのため亡くなった立川談志さん(享年75)。食道がんと診断されても、「酒とたばこ? やめるわきゃねーだろ」と豪快に笑った。
破天荒、型破り――そんな言葉がぴったりの天才落語家。その傍らにはいつも妻・則子さん(72)の存在があった。夫婦と親交の深かった作家の吉川潮さんがいう。
「おかみさんは天真爛漫でいくつになっても変わらない。家元はそんなおかみさんを、70才を過ぎても若いころと同じように『ノンくん』と呼んでいました」
婚約者がいた則子さんを、談志さんが強引に口説き落として1960年に結婚。則子さんは“天然”で、「落語のことをまるで知らず、弟子にも干渉しようとしませんでした。一日中落語のことばかり考えている家元には逆に息抜きができて心地よかったのでしょう」(吉川さん)
談志さんの破天荒さは世間の反感を買うことも多かったが、則子さんがいる安心感が心の支えになっていた。著書『人生、成り行き-談志一代記-』ではこう明かしている。
<若い頃、おれは自分が所帯を持てるような人間じゃないと思っていました。(中略)それが、この人とならば、何とかドロップアウトしないで済むだろうナ、と思って一緒になったわけですけどね>
1988年に則子さんの子宮がんが見つかると、談志さんは毎日通えるよう病院の近くにマンションを購入。必死の看病が実って快方に向かうも、1997年、今度は談志さんに食道がんが発覚する。一度は手術で除去したが、2008年に発覚した喉頭がんが2010年11月に再発。2011年11月21日に永眠した。
死が公表されたのはその2日後だった。「最愛のパパとお別れするための時間がほしい」。そこには則子さんの強い意志があったという。
※女性セブン2012年1月1日号