日本の拉致被害者の名前が記載された北朝鮮の平壌住民名簿が流出し、物議を醸している。日本の一部新聞は、過去にも「3億円で名簿を買い取らないか」と、高額で売りに出されていたと報じた。その背景には何があるのか、朝鮮半島情勢に詳しい辺真一氏がレポートする。
* * *
拉致被害者の情報は、2005年から2006年頃に急増した。北朝鮮から送られためぐみさんの遺骨が偽物であると判明した直後にあたり、その大半は韓国の脱北者の証言によるものである。
2006年8月に飛び出したのが、薬剤師の脱北女性の「目撃証言」だった。女性は北朝鮮東部の離島にある「49号予防院」という病院に1992年から1996年まで薬剤師として勤務、そこで入院中のめぐみさんを目撃したというのである。この病院に入ったら出られず、また外部から立ち入ることができない、禁断の場所であるとも話した。
この薬剤師は、韓国脱北者の収容施設で、テレビに映し出されためぐみさんの写真を見た瞬間「あの女性ではないか」と直感。「私、彼女を知っている」と同じ施設にいた友人の脱北者に洩らしたところ、それが知れ渡ってしまったという。
しかし、このもっともらしい話は作り話であることが判明した。平壌郊外に住んでいた拉致被害者の地村保志夫妻が「1994年6月、めぐみさんが近所に引っ越してきた」と証言しており、同時期に離島の病院に入院していることはあり得ない話だからだ。
この女性の場合も金が目当てだったが、韓国での脱北者の取材には、ブローカー(仲介業者)が介在していることがほとんどだ。彼らは脱北者を日本のマスコミに売り込むことで利益を得ている。
たとえば日本人記者が脱北者Aから、北朝鮮の収容所や核やミサイルについての情報を取材したとする。国家安全保衛部や軍部や情報機関にいたという経歴の人に対しては、当然ながら「日本人拉致被害者の情報を持っていないか」と聞く。彼らは、日本人記者が何を一番ほしがっているのか、何が一番高く売れる情報か分かっている。核よりもミサイルよりも拉致被害者情報だということが──。
そうすると、Aは「私は知らないけれど別の人が知っている」と脱北者Bを仲介する。取材前にBはAと打ち合わせをし、インターネットなどで日本政府が認めている拉致被害者はどれだけいて、安否情報はどうなっているのか、など写真を含め細かくリサーチする。
その上で日本人記者に作り話をもっともらしく辻褄が合うように話す。記者はすっかり信用してしまうというわけだ。こうして彼らは手にしたインタビュー料や情報提供料を山分けする。最低でも数十万、中には100万円単位の謝礼を手にした脱北者もいる。
※SAPIO2011年12月28日号