いま、皇室をめぐるさまざまな問題が露呈している。皇室の根幹にかかわる問題もあり、もはや先延ばしにはできない状況だ。ご高齢の両陛下の健康問題はもちろんだが、皇室が抱える問題のなかで、国民が心配し続けてきたのが雅子さまのご病気だ。
発端は2003年12月4日、雅子さまが帯状疱疹で宮内庁病院に入院されたことだった。このとき、宮内庁は「ストレスによる心身のお疲れが原因ではないか」と発表したが、当時は誰も、いまにまで続く長いご療養生活になるとは予想しなかったはずだ。
しかし、7日後の12月11日、当時の湯浅利夫宮内庁長官の発言によって事態は一変する。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の将来を考えると3人目を強く希望したい」
第2子を授からぬ雅子さまに期待はできないから、紀子さまに第3子、そして男子皇族、お世継ぎの誕生に期待を寄せた内容と受けとめられる発言に、雅子さまは大きな衝撃を受けられたに違いない。ここから事態は思わぬ方向へと進んでいくことになる。
12月23日、古希を迎えられた天皇陛下のお誕生日行事、さらには新年を迎えた2004年の一般参賀などの行事に、雅子さまが姿を見せられなかったのだ。
「このころの雅子さまは東宮御所のお庭にもほとんど出られず、ベッドで横になられる日々でした。表情も暗く、顔色も悪く、お痩せになってとても痛々しいお姿でした」(宮内庁関係者)
一切の公務を休まれ、療養生活にはいられたがご体調がなかなか好転しないため、2004年3月、雅子さまは長野県軽井沢のご実家・小和田家の別荘で静養されることとなった。
「嫁がれた女性皇族が、実家の別荘でご静養というのは、皇室の慣例からすれば、極めて異例のことでした。それを後押しされたのは、美智子さまでした。1963年、第2子を流産されたあと、美智子さまも軽井沢に転地療養なさったことがありましたから、雅子さまが静かな場所で心の平穏を取り戻すことを願われたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
当初、宮内庁は転地療養は2週間ほどと考えていたが、実際に雅子さまが帰京されたのは4月26日で、約1か月にも及んだ。それほど雅子さまは、心身ともに疲れ果てた状態だったのだ。
※女性セブン2012年1月5・12日号