2003年12月に帯状疱疹で宮内庁病院に入院されたことをきっかけに、雅子さまは療養生活にはいられた。その後、2005年1月、新年恒例の一般参賀で、全7回中、1回だけではあったが、ご療養後初めて公の場にお出ましになられた。
その直後、皇室に嫁がれて以来、雅子さまを苦しめてきた“お世継ぎ問題”に新たな動きが起こる。当時の小泉純一郎首相の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」が始まり、“女性・女系天皇”容認論議が活発化した。
お気持ちが楽になられたのか、2月半ばには、皇太子さまとご一緒に、国立劇場で文楽をご鑑賞された。外出を伴うご公務は1年3か月ぶりのことだった。
ご公務への復帰に向けて少しずつ歩み出されたかのように見えたが、やはりご体調は一進一退を繰り返した。そんな矢先、ご予定の直前中止が波紋を呼ぶ。
2005年2月、皇太子ご夫妻は長野県で行われた『スペシャルオリンピックス冬季世界大会(知的障がい者の国際スポーツ大会)』の開会式に出席される予定だった。これが実現すれば、療養にはいられてから初めての地方ご公務となるはずだった。ところが出発1時間前、雅子さまのご体調の関係で急きょご訪問が取りやめとなった。
「このころ、雅子さまは写真撮影や御所内のご公務などでも、俗にいう“ドタキャン”が相次いでいました。当時は、“無責任だ”といった声もあがりましたが、いまになってみれば、雅子さまは、何とか皇太子妃としての役目を果たされようと、公務への出席を前提にして、ギリギリまで思案なさっていたのだと思います。それが結果としてドタキャンという形になっていただけなのでしょう」(皇室記者)
現在は、雅子さまのご公務ドタキャンといったことはありえない。これは“欠席”を前提としていて、訪問可能となった場合に、急きょ雅子さまも行かれると発表するという方法に変わっているからだ。
※女性セブン2012年1月5・12日号