テレビ放送が始まって半世紀以上。女性アナウンサーは時代を映す鏡といえよう。女子アナのタレント化が大きくクローズアップされたのが1980年代だった。
1980年代、人気女子アナの存在は、テレビ界の勢力図すら塗り替えてしまう力があった。「民放の王者」といわれて久しいフジテレビだが、今の隆盛のきっかけとなったのは頼近の引き抜きを契機とする女子アナ起用法の大改革だった。
テレビメディア論に詳しい法政大学社会学部の稲増龍夫教授がいう。
「1980年代初めまで“振り向けばテレ東”と揶揄される低視聴率にあえいでいたフジは、女子アナのタレント化に注力した。NHKから頼近美津子をヘッドハンティングしただけでなく、ひょうきんアナとして人気となった益田由美や寺田理恵子、長野智子などメインを張れる女子アナを次々養成していきました」
フジによる女子アナブームは、「花の3人娘」といわれた有賀さつき、河野景子、八木亜希子の1988年入社組によって最高潮を迎える。この頃には、フジは民放ナンバーワンの座を完全に手中にしたのだった。
有賀さつきが、当時を振り返る。
「番組をいくつも掛け持ち、眠るひまもない毎日でした。それでも、働いた分だけ数字(視聴率)に反映された当時の充実感は今も忘れられません」
バラエティでの成功を機に、女子アナたちの活躍の場は広がっていく。1988年、フジでは中井美穂が『プロ野球ニュース』初の女性メインキャスターになり、女子アナにスポーツ部門への門戸が開かれた。TBSでも同時期、香川恵美子がスポーツ中継で活躍している。
その後は後にタレントに転じた木佐彩子、内田恭子などに代表されるように、スポーツ担当がバラエティ系人気アナの登竜門となっていくのである。
※週刊ポスト2012年1月1・6日号