「家政婦のミタ」の高視聴率を支えた視聴者の多くは、笑いたくないのに笑って生きているのでは? 表情をとりつくろい、他人の顔色をうかがい、知ったかぶりをしている。お追従、媚びへつらい、おもねり、ご機嫌とり……。ミタが、われわれ視聴者に語りかけたものは何だったのか。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が考察する。
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今年後半の大ブレイクは、なんといっても日本テレビのドラマ「家政婦のミタ」。いよいよ21日最終回は、なんと瞬間最高視聴率が42.8%と、異例中の異例の数字を記録して幕を閉じました。
このドラマを続けて見るうちに、不思議な変化を実感した人もいたのではないでしょうか。私自身、松嶋菜々子演じる家政婦の「ミタ」の徹底的な無表情、冷たく暗い横顔を見ることが、実はだんだん快感になってきたのです。
不思議なことに、あの鉄面皮を見つめると爽快感さえ感じるようになったのです。いったいなぜ、ロボットように冷たい無表情に快感を感じてしまうのか。自問しました。その意味で、普段はなかなか実感できない奇妙なドラマ体験でした。
ミタの無表情に快感を感じたのは、その能面が、「自分を繕っていない、ありのままの姿」を現していたからではないでしょうか。
夫と息子を亡くし決定的な不幸を抱え、簡単には笑うことができない十字架を背負ったミタ。ミタにとっての真実、「生きることの大変さ」とは、能面のような表情で生き続ける姿そのものに現れている。
つまり、能面とは、自分をごまかしていない証拠だった。だからこそ、視聴者はそこに「爽やかさ」を感じとった、と言えるのではないでしょうか。
一方、視聴者をはじめとして日本中の多くの人々は、笑いたくないのに笑って生きているのではないでしょうか。表情をとりつくろい、他人の顔色をうかがい、知ったかぶりをしている。
お追従、媚びへつらい、おもねり、ご機嫌とりと、みんな「仮面」を被って暮らしている。多くの人が、被りたくなくても仮面を被らざるを得ない状況の中にいます。
そんな「仮面」を被った欺瞞に満ちた社会に、一人の「能面」が戦いを挑む。「能面」が、次々に、登場人物の「仮面」を剥いでいく。剥ぐことで、家族や人を再生させていく。このドラマの構造は、一言でいえば「能面」対「仮面」の戦いでした。
だからこそ、仮面を被っている多くの視聴者は心が揺さぶられ、自分自身の仮面を剥がされて、ともに浄化されていくような共感と快感を味わったのでしょう。それが40%超えという、考えられない高視聴率につながった理由ではないでしょうか。
出色の出来だった「家政婦のミタ」ですが、いくらドラマの設定やストーリーがあっても、主役・松嶋菜々子の気力と力業がなければ成り立たなかったはずです。徹底した無表情を持続し、一切崩さずに演じ切ることは、そう簡単ではありません。
「笑えなければ、無理に笑わなくていい」という正直な能面哲学を、日常の中でしっかと持っている意志の強い女優だからこそ演じ切れた--そう言えるのかもしれません。