今でこそテレビの顔といえる女性アナウンサーだが、その存在感が急速に増したのが1980年代だった。バラエティ番組やスポーツ番組だけでなく、ニュース・報道番組の分野でも女性キャスターが視聴率のカギとなり始めていた。
先鞭をつけたのは1975年にフジに入社した田丸美寿々だろう。
当時を知る局関係者が証言する。
「田丸さんは、入社当時から“私は報道がやりたい!”と上司に訴えていた。しかし、当時は“重要なニュースは女に読ませられない”と当たり前のようにいわれる時代だった。彼女も最初はお天気ニュース専門だったが、1979年、念願かなって逸見(政孝・フジテレビアナウンサー)さんと2人で『FNN ニュースレポート』のメインキャスターに抜擢されたのです」
逸見は田丸について「20年に1人の逸材」と語ったこともある。田丸は1982年に同僚との不倫スキャンダルも取り沙汰されたが、1983年のフジ退社後も様々な報道番組の“顔”として活躍し続けた。
フジではその後も『スーパータイム』で、幸田シャーミン、安藤優子ら名キャスターが生まれた。安藤は現在も一線級で活躍する数少ない存在である。
田丸の活躍とほぼ同時期、NHKでも女性キャスターが台頭し始める。
1982年には『ニュースセンター9時』で宮崎緑が初の女性キャスターに抜擢された。その後も、後に政界転出する畑恵が夜7時のニュースを最年少で担当したり、局内で「ニュースの森田」との異名を取った森田美由紀などがメインキャスターの座についた。
今でもテレビ界では、「女性キャスターの最高峰はNHKの夜ニュース」(民放ディレクター)という意見が根強い。“報道のTBS”ですら看板番組の『NEWS23』には草野満代、膳場貴子と、NHK出身アナをキャスターに据えてきた。
※週刊ポスト2012年1月1・6日号