1930年に前身の教育団体、創価教育学会が誕生してから81年、戦後高度成長と時を同じくして爆発的に増やした信者数は、1000万人以上ともいわれる。創価学会という特異な宗教団体と池田大作というカリスマ指導者に迫った週刊ポストの連載『化城の人』。ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、池田が生まれた地を訪ねた。(文中敬称略)
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池田大作こと池田太作(二十五歳のとき改名)は、昭和三(一九二八)年一月二日、東京府荏原郡入新井一八三番地(現・大田区大森北二丁目一三番地)で生まれた。十人兄弟の五番目(兄四人、姉一人、弟三人、妹一人)だった。父の池田子之吉は、近くの羽田沖の海苔養殖で細々と生計を立てていた。
池田の生家は、JR大森駅東口と京浜急行大森海岸駅西口の間にはさまれた一画にあった。明治大正時代、そこは赤銅色の肌をした半裸の男たちが行き交う貧しい漁師町だった。だが、いまここに漁師町の面影をとどめるものは何もない。
それは当然想像していたが、池田の生家が近隣を含めすべてイトーヨーカドーの巨大な店舗の真下に消えていたのには驚いた。ヨーカドーの前はアサヒビールの工場、その前は中島飛行機などに飛行機部品を納めるメッキ工場だった。
その激しい変貌ぶりは、「桑田変じて海となる」の例え通りで、池田が子どもの頃、海苔屋ばかりが並んでいたという町の風情はどこにもなかった。
この界隈を歩いて、もう一つ驚いたことがある。池田の生家があったイトーヨーカドーの裏手を歩いて五分ほどのところに、密厳院という寺がある。平安時代の初めに建立されたといわれる古刹である。境内の一画には、一途な恋慕のあまり放火し、その咎により鈴ヶ森で火あぶりの刑に処された八百屋お七を祀った立派な“お七地蔵”も安置されている。
池田家の墓はこの寺にある。生家が近いのだから当然だと思う人もいるかもしれない。だが、この寺が真言宗の寺だと知れば、宗教に詳しい者なら誰もが奇異に思うはずである。日蓮宗には、他の仏教宗派を厳しく指弾した四箇格言という有名な教えがある。
念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。このおどろおどろしい形容だけでも、日蓮宗が他宗派を徹底的に排除する一神教的な宗教だということがわかる。池田家の人びとの遺骨は、日蓮が「亡国」と言った真言宗の寺に葬られているのである。
(連載『化城の人』第1回より抜粋)
※週刊ポスト2012年1月1・6日号