2011年年内をもってジャーナリスト活動を無期限休業する上杉隆氏が、権力とメディアの「官報複合体」の内情を暴くべく、政治記者たちが政権幹部などを取材した40万枚にも及ぶメモなどを暴露する。政治家たちはどんな素顔をみせていたのか、上杉氏が報告する。
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記者メモを見ていると、「オフ」で話す政治家とそうでない政治家に二分されることに気づく。小沢一郎氏や岡田克也氏、原口一博氏などは、ほとんどオフ懇(オフレコでの懇談、基本的に記事にはしない)に応じることがない。記者会見をオープン化してきた政治家にとって、記者クラブの番記者相手にオフ懇をやることは、そこに入れないフリーランスや海外メディアに対してアンフェアだと考えているからだろう。
一方で菅政権当時、もっとも多くオフ懇を行なったのは仙谷由人氏だ。彼は官房長官として、後藤田正晴氏や野中広務氏と同じように、番記者をコントロールしようと目論んでいたのだ。
たとえば2010年12月28日、赤坂の中華料理店で行なわれた番記者との忘年会で、小沢氏が政倫審に出席するとのニュースが突如舞い込んできた。小沢氏と対立していた仙谷氏は、その場で記者から一報を伝えられると、こう言ってのけた。
〈ほれ、オレが言った通り(笑顔)。政治は一寸先は闇……というとあれだから、一寸先は台風一過!〉
わざわざ良い意味の諺に言い換え、「明るい話題」であることを強調している。
2011年1月14日には、翌日に65歳になる仙谷氏の誕生会が番記者によって開かれた。記者たちからペアカップなどをプレゼントされた仙谷氏は、ご機嫌になった。
〈――解散はないか?
仙谷:解散なんてしないよ。306~7議席持っていたら、世論がどんなに非難しようと解散しないよ。またたらい回しするだけ。そのとき誰が(総理を)やるか分からないけど。どんなに支持率が下がろうと、権力持っている方が強いんだよ。簡単に手放すなんてしない。〉
このあとも解散権を持つ菅首相を無視するような発言が続くが、全く報じられることはなかった。官房長官として仙谷氏の不信任案が出された際など、〈あなたがたが、ちゃんと(記事に)書かないからこうなるんだよ。そうでしょう?〉(2010年11月15日夜)と恫喝まがいのことまで言われているにもかかわらず、記者たちは黙っている。もはやジャーナリストとはいえない。
※週刊ポスト2012年1月1・6日号