「恫喝外交」を続ける北朝鮮と向き合う上で、「核のボタン」を誰がどのように握っているかを知ることは、死活的に重要だ。金正日は自らを中心に周到な管理システムを築いたが、指導者としての経験が圧倒的に不足する金正恩はどのようにそれを死守していくのか。本誌で「金正日急死シミュレーション」をレポートし続けてきた惠谷治氏が解説する。
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共産主義国家の独裁者の死亡が、すぐに公表された事例は過去には存在しない。
謀殺でないことを証明するための解剖に時間がかかるし、何よりも独裁体制の下では、後継体制が密室で論議される。公表までの“空白の時間”に、側近たちが熾烈な権力闘争を繰り広げるのは、正当な手続きが決まっていないからである。
スターリンの場合は14時間10分、毛沢東のケースでは16時間50分が費やされた。金正日の父・金日成の場合はそれが34時間だった。この「発表までの時間」を比較するだけで、金日成の死後には相当激しい駆け引きがあったことが読み取れる。
それを踏まえて、今回の経緯を見てみよう。北朝鮮の発表によれば、2011年12月17日8時30分の金正日急死から同19日正午の公表までには、51時間30分を要している。金日成の時に比べても、さらに17時間以上も長い。
金日成が死亡した17年前とは、一体何が違ったのか?
現在の北朝鮮には、1994年に存在しなかった重大な問題がある。
それは、金正日が最高指導者として開発に血道を上げた「核兵器」の扱いである。金正日死後の51時間半の間に、「核のボタン」を巡る激しい暗闘があったことは容易に想像できる。
「核のボタン」の扱いを知るためには、まず金正日体制下で核がどう管理されていたのかを知る必要がある。
金正日は旧ソ連が用いた核管理システムを自国に導入していると思われる。旧ソ連ではKGB(国家保安委員会)第15管理総局が核の管理にあたり、その肝となったのが「PAL(パーミッション・アクション・リンクス)」と呼ばれる管理方式だ。全ての核兵器に電子ロックが何重にも装備され、KGB将校が最終的に「安全装置解除コード」を入力しない限り、格納庫の扉の開閉や起爆装置が起動できない仕組みである。軍人だけでは、核を動かせないようにチェックするシステムが機能していた。
金正日が核兵器の管理・警備を担当させているのが、“北朝鮮版KGB”といわれる国家安全保衛部(秘密警察)であることは、脱北者らの証言で明らかになっている。金正日その人を除けば、PAL方式の「安全装置解除コード」を知るのは国家安全保衛部の実質トップである首席副部長の禹東則のみだったと推測される。
新聞報道などでは北朝鮮について「核を握る軍部」という表現を見かけるが、そう単純ではない。金正日体制下で軍部は、あくまで核を使用する際のオペレーションを担うだけ。核の開発は党、すなわち朝鮮労働党の軍需工業部が担い、実際に核を起動させるための「安全装置解除コード」を知るのは金正日を含むごく一部の人間だけだった。
このコードこそ、金正日が北朝鮮という国家を統治するための権力の源泉としたものである。それはつまり、金正日死後の51時間半に、北朝鮮内部で起きた暗闘の「最大の焦点」が、このコード争奪戦であったことを意味する。
※SAPIO2012年1月11・18日号