今年は東日本大震災の津波・原発事故により、日本人と原子力との関係が根底から問い直される年となった。そんな中、12月1日に「全日本仏教会」が脱原発を宣言する「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文を出した。仏教と原発? 実はこの両者には、深い関係があった。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が解説する。
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中国、ブラジル、インド、南アフリカ、メキシコなど13の新興国のメディアが共同で行った2011年世界10大ニュース選出。なんと、「東日本大震災の津波・原発事故」が1位に。アメリカの世界10大ニュースでも2位に入っています。それほど世界中が注目し、震撼とさせられた出来事だったのでしょう。
しかし、日本ではいまだに原発事故の収束はおろか、日々の食卓で放射能の影響を恐れ続けなければならない状況が続いています。
12月1日、「全日本仏教会」は脱原発を宣言する「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文を出しました。
「『いのち』を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません」
この宣言、実は福井県敦賀市・高速増殖炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」と関係が……。というのも、「文殊菩薩(ぼさつ)」と「普賢菩薩」からその名前をとっているからです。当時は、原発という「人間の知恵が将来にむけて伸びる願いを込めた」命名だったそうです。
驚くことに、地元の「永平寺が命名に関わった説もあり、西田正法事務局長(56)は『菩薩の知恵を借りて無事故を願ったのなら浅はかな考えだった。仏教者として世間にざんげすることから始めたい』」と語りました(2011年10月26日 読売新聞)。
もんじゅ、ふげん。少なくとも3.11以前は、深く考えることもなく、原発の呼称として多くの人が使っていた名前でしょう。しかしそれは、慈悲と知恵を象徴する「菩薩」からとった。お釈迦様の両脇にはべり、釈迦三尊を構成する重要な二つの菩薩の固有名詞から付けられたものでした。
そんな尊い存在の名を、危険性に満ちた発電施設に付けてしまったというのに、ちっとも違和感を覚えなかった私たち自身や仏教界に、まずは驚かなくてはなりません。一言でいえば、「いかに原発について無知で無関心だったのか」をさらけ出した出来事と言えるでしょう。それが、私たちが科学と向き合う時の姿勢だったのです。
さて、これからはどうすればいいのでしょう。世の期待を集めている新しい科学技術を見回してみると--。
例えば、二足歩行ロボットの「アシモ」くん。ホンダによるとその名前は「A:Advanced 新しい時代、S:Step in ステップ、I:Innovative 革新、MO:Mobility モビリティ」の頭文字をとったものとか。
あるいは、惑星探査機「はやぶさ」は、獲物を捕らえる鳥・隼からつけられた。今のところ、こうした科学技術や新機能と名前との間には、さほど乖離や飛躍はなさそうです。
しかし、科学技術への極端な礼讃や盲目的な信頼が高まっていくと、圧倒的な存在の名前を借りたくなる。最先端の科学技術が、「もんじゅ」や「ふげん」のように神や仏といった絶対的な存在の名前と一体化した時には、要注意です。
科学技術の中に潜む危険性が、絶対者の威光によって、覆い隠されてしまうからです。それこそが、2011年、私たちの社会が原発事故から得た、苦い教訓でした。