人間にとって本当に必要な“絆”って何? 作家で人材コンサルタントの常見陽平氏は、今年一年を振りかえり、ソーシャルメディアが創り出す“絆”に疑問を唱える。Facebookのリンク数、Twitterのフォロー、フォロワー数が増えたところで、その「絆」はあなたが困ったときに救ってくれますか? ――と。
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2011年も残すところ、あとわずかです。今年は東日本大震災に原発事故、さらには国際政治経済における数々の事件の発生と、たくさんの大事件があった1年でした。
そんな今年の漢字は「絆」でした。震災を通じたリアル、ソーシャルを通じたつながり、なでしこジャパンの金メダルに感じたつながりなど、「絆」を感じる瞬間があったとよく報道されるわけなんですけど、「絆」って何なのでしょうね?
あなたにとって「絆」って何でしょう? 少し前まで「無縁社会」なる言葉が流行っていたのにいまさら「絆」でしょうか。この「絆」という言葉は安易に使われて欲しくないなあと思うわけです。
今年の思い出と言えば、すぐ思い浮かぶのは東日本大震災の日のことくらいです。いや、本当に。赤坂のホテルのカフェで打ち合わせ中に大きく揺れて死ぬかと思ったこと。携帯が繋がらず、PCのメールでやっと妻と連絡がとれ、新橋で合流してなんとか電車と徒歩で帰ったこと、そして悲惨な映像と原発事故の光景。これははっきりと思い出せます。
いや、実際はたくさんの喜怒哀楽がありましたよ。どちらかというと、個人的にはいいことがいっぱいありました。今までに出来なかった、分不相応な貴重な機会をたくさん頂いたわけです。でも、すぐに思い出すのは震災の日くらいです。あの日、妻と再会できて、一生懸命、家に帰ったときのことしか覚えていないわけです。日々、一生懸命走り続けただけです。
自分の専門分野である新卒採用をめぐっても、震災による採用時期の遅延化・分散化、倫理憲章の見直しにより就活開始が遅くなったこと、インターンシップが見直されたこと、ソー活やグローバル採用が盛り上がってきたこと、ユニクロのように採用時期や対象を見直す企業が現れたこと、DeNAやGREEのように新卒でも優秀層には高額の給料を出す企業が現れたことなど変化はありました。
採用数回復の兆しもあります。やや対象を広げて、「仕事」とか「働く」にしても、大企業を辞めて自由に働く人達が話題になったりしました。
でも、これらのことで結局、何が変わったんでしょう? 就活や採用活動が人と人との出会いであり、仕事は社会や顧客に対する価値の創出と提供であるということはあまり変わっていません。そこに「絆」はあるはずです。でも、そこにドキドキしなくなっていません?
特に仕事においても今年はソーシャルメディアの「絆」がやたらとフィーチャリングされるわけですが、さて、今年ソーシャルメディアでつながった絆は来年、どうなっているでしょう? ソー活でつながった絆はその企業にもし落ちた後、どうなるのでしょう?
リアルな場においても「意識の高い学生w」たちが開く学生イベントに集まった学生たちはその後も友達なんでしょうか? ソーシャルメディア時代は貨幣経済から承認経済への移行だなんて言われますが、Facebookのリンク数、Twitterのフォロー、フォロワー数が増えたところで、絆は深まるんでしょうか?
その「絆」はあなたが困ったときに救ってくれますか? 終身雇用を望む、保守回帰を目指す若者達は、実は社畜化を望んでいて、会社という絆、すくなくとも居場所に飢えているのではないでしょうか? そんな絆幻想を流布する人たちを、私はひっぱたきたいわけですよ。
というわけで、「絆」という言葉が今年の漢字になったことには実に複雑な印象を抱いてしまいます。「絆」って、本当はねえじゃねえかよ、と。
大事なのは愛する家族、友人、そして働く仲間だと再確認した次第です。34歳まで私は社畜でした。いまは家畜として幸せに暮らしています。会社と恋は裏切るが、仕事と愛は裏切らない。それは、自分が創りだすものだからです。
結局、家族と親友の絆が一番じゃんというわけですよ。それ以外の絆の軽さに耐えられなくなってませんか、みなさん?
大切なものは何なのか? そんなことを考えてみましょう。