2012年をどう生きるか。常に時代と切り結ぶ作品を世に問う、直木賞作家・石田衣良さんに聞く。一回目のテーマは「50歳になったニッポン」。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)
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――2011年はどんな年だったと思いますか。
石田:2011年はベルリンの壁が崩壊した1989年以来のビンテージ・イヤーになると思います。世界的にはアラブの春、ヨーロッパの財政危機と大変な出来事が続き、金正日が亡くなり、リビアのカダフィ大佐、ビン・ラディンが殺された。大きな歴史の転換点に立ち会っているようでワクワクしていました。
1989年は資本主義対共産主義という対立軸が崩れた。2001年の9.11ではキリスト社会対アラブ文明の対立構造が表面化した。2011年はグローバリズムの限界が見えた、ということになるんじゃないかな。
金融マーケットや電力問題などいろんなことにブレーキを踏んでスローダウンすることを世界に促した。そういう年に世界人口が70億人を突破したというのは興味深いですよね。
一方、中国と北朝鮮のように方向性は違うけれどアクセルを踏み続けている国は突出して目立つ。あとから振り返って、「2011年でなにもかも変わったんだ」と指摘されるような年になるでしょうね。
国内でも震災以外に日本の国債と借り入れを含めた債務残高が1000兆円を突破するという大きなニュースがありました。今後10年、みんなでコツコツと借金を返していくしかないでしょう。
――暗い10年の始まりですか。
石田:そうかなあ? 逆に僕は借金返済ぐらいだったら良いじゃないかと思うんですよね。底がだいたい見えてこれ以上はそんなに悪くならない。そういう見切りを付けて、あとは明るく暮らしていけば良いんじゃないかな。僕は日本が「50歳になった」と思うんですよ。
――どういう意味でしょうか。
石田:僕は2010年に50歳になって、2011年は50代スタートの年でした。50歳って、初めて自分の仕事の終わりを意識する年なんですよ。あと10年か20年、どうやって過ごしていこうかと。
いま50歳の人と日本社会と成熟期が重なるように思います。青春期はそのなかにいるときはわからなくて、40歳になってやっと「ああ青春は終わった」と気づく。日本はバブル崩壊以降、気づくのに20年かかりました。
そして「俺たちも歳を取ったなあ」と言っているときにバーンと地震が来た、住宅ローンの返済が始まっちゃったみたいな感じです。でも住宅ローンなんてキツイのは最初だけなんで、あとはジリジリ返していけば減っていくものなんで、そんなんでいいんじゃないですかね。
たいして悪くはないですよ。今の日本はつまらないところもあるけれど、恵まれた良い社会であることは間違いないです。
――日本の財政事情も深刻ですね。
石田:暴論なんだけれど、一回早めに破綻するのもいいかなあ(笑)。今の日本ほど、世界の中で潰れちゃってかまわない国はないかな。日本車が無くなれば韓国から買えばいいし、家電もそう。日本が無くなって世界の人が困るのは漫画とゲームが消えることぐらいでしょう。
韓国も1997年のアジア通貨危機で破綻しました。1年目はきつかったんですが、2年目からウォン安でV字回復するんです。
日本の借金1000兆円はIMFでも埋めきれないから、半分くらい「棒引き」してみんなで呑んじゃう。公務員の給料は三割減ぐらいになってお年寄りも厳しいけれど、フリーターの子たちは最初から何も持っていないから関係なし。
それで円が150円くらいに回復して、世界中に日本製品が売れまくるという夢のような幻想があります。そうなると今の体制は吹っ飛ぶので、民主党も自民党も跡形もなく消えるでしょう。それも見たいなあ(笑)。