最近、自分を追い詰めている人が多い。「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」、と。だが、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、頑張り過ぎずにほどほどに生きる「ほどほど論」を提唱する。(インタビューアー=ノンフィクションライター・神田憲行)
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――香山さんが「ほどほど論」を考えるに至った経緯をお聞かせください。
香山:精神科医としてビジネスマンの診察をしていて、「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」と成長幻想に取り憑かれて、鬱病を発症させる人がここ10年ぐらいの間に増えてきたと感じたからです。
それは行き過ぎた成果主義で会社から「成長」を強制されるパターンもあれば、外部から強制されていないのに「もっと頑張らないと」と、自分で自分を追い詰める人もいます。なんで今の自分を簡単に否定して成長しなくてはいけないのか、とても疑問に感じたんですね。
――そうなった社会的背景はなんでしょうか。
香山:やっぱり経済だと思う。昔はほっといても右肩上がりの成長神話を素朴に信じることが出来て、普通に働いていれば企業も日本経済も成長出来た。ところが経済が停滞するとそれを受け止められずに、「社会が成長しないなら個人が成長しなくては」という個人の生産性を上昇させることが求められてきます。
これに「世界中が競争相手」というグローバル化が煽る。1990年代後半には終身雇用、年功序列というそれまでの日本企業モデルが単純に自己否定される。その自己否定が個人にまで及んできた、ということです。
――昨年、我々日本人は震災という大きな体験をしました。これはそういう流れに影響を与えましたか。
香山:最初は、経済成長より命とか隣人との目に見えるつながりが大事だと気づく契機になるかなと思ったんです。原子力発電についても「電力=経済成長」なので、原発じゃなくて自分たちがリスクコントロール出来る範囲内で電力を確保しよう、という強烈な反省につながるんじゃないか、と。
もちろんそういう雰囲気も出てきました。しかし、「これは第二の敗戦だ。再び輝くチャンスだ」みたいな威勢の良い掛け声が産業界から出てきた。成長のスピードを緩めるのでなく、「もっと頑張らねば」と拍車をかける方向に働いているように見えます。
――自己啓発本も相変わらず売れています。
香山:曖昧で混沌とした社会を生き抜くには、収入を増やすことが幸せにつながると価値観を単純にしたい人が多いからでしょう。自分はもっと出来る人間のはずだ、もっと向上できる。でもそれは一時的な自己暗示に過ぎません。自己啓発本を読んだ瞬間には元気になれるかもしれませんが、短時間しか効かない精神安定剤みたいなもので、根本的な解決になりません。
私は自己啓発本を読んだり何人かの著者の方と対談したりして感じたんですが、あそこで提示されている「理想的な人間」モデルは、合理的で生産性を追求するタイプなんです。人はインセンティブを与えれば頑張れるはずであり、向上したくない人などいないという人間に対する素朴な信頼感みたいなのがある。
でも人間てそうでしょうか? 私、人間ってもっとろくでもない存在だと思うんですよ(笑)。立派な人が突拍子もない行動に出たり、「なんであんな人を」と周囲が思うような人を好きになっちゃったりとか(笑)。自分の心を完全にコントロールすることなんて出来ない。でもそれが人間たるゆえんであり、そこから芸術が生まれたり、人との出会いで気づかされることも出てくる。
人間の矛盾を認めることが、この社会に本当の豊かさをもたらすのだと思います。