最近、自分を追い詰めている人が多い。「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」、と。だが、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、頑張り過ぎずにほどほどに生きる「ほどほど論」を提唱する。香山さんに聞く「ほどほど論」の二回目をお届けする。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)
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――自分で自分を追い詰めちゃう人の特徴ってありますか。
香山:仕事で達成できた六割じゃなくて、出来無かった四割ばかり目がいって自分を責める人。まずは出来た六割を自分でちゃんと評価して欲しい。
あと物事を「0か1か」「全肯定か全否定か」で判断してしまう人も多い。これをボーリングのピンが両端に分かれている状態のようなイメージで、精神医学の用語で「スプリッティング」と呼びます。判断が極端から極端にふれる人ですね。
――「スプリッティング」という人は以前から多かったのですか。
香山:社会全体がそうでした。小泉さんが選挙で「郵政改革に反対する人は守旧派」とレッテルをはったり、アメリカがイラクと戦争をするときに「アメリカの側に立たない者はテロリストと見なす」と宣言したり、イエスかノーを迫って中間がありません。
「もうちよっと考えさせて」という猶予ももらえない。これも震災以降、とくにその傾向が強まってきたと思います。
――というと?
香山:たとえば私が原発問題に関して精神医学の見地から発言すると、「隠蔽工作に荷担するのか」と批判にさらされる。ひとつの問題について様々な見地から意見を重ねていくという行為は今までは許されていたはず。
しかし原発に関しては「反対か存続か」という意見しか許されない。ツイッターでは140字の制限があるので意見の「前提」や「留保」がそぎ落とされ、「結論」だけがリツイートされて蔓延していく。震災では活躍した有効なネットツールではありますが、原発を巡る言論では異論を封じ込める機能をもっていると思いますね。
黒か白かだけで相手を判断して、ひとつの意見が違うだけで人格までも全否定してしまうと自分の居場所を狭くしてストレスの大きな原因になります。
――どうすれば「スプリッティング」をやめさせることができるのでしょうか。
香山:非常に難しいですね。そういう判断を繰り返すと自分の生活が狭くなって、自分で自分のクビを締めるようなことになりますよ、と教えるしかない。逆に自分が白黒でなんでも判断するようになったら「これは危ないゾ」というシグナルだといえます。