2008年、西武の二軍打撃コーチに就任していたデーブ大久保は、選手に対する暴行によりチームを解雇された。暴行の対象となったのが、甲子園のスター・菊池雄星だったため、デーブ大久保は完全な「悪者」にされた。当時大久保は、自殺さえ試みたという。ルポライターの高川武将氏が追った。
* * *
コーチを解任された後の1週間、尾ひれはひれのついた報道は、デーブを「選手を殴ってクビになった男」という「悪者」に仕立て上げていった。インターネットでは、匿名をいいことに、様々な誹謗中傷、罵詈雑言が渦巻いた。
デーブには、大学生の長女、長男、高校生の次男がいる。「息子を学校に行かせなくしてやるぞ」そんな脅迫紛いの電話が何度も入った。どこで調べるのか、携帯に無言電話も続き、デーブはまともに外を出歩けなくなる。家族の信頼関係は崩れ、追い詰められていった。
「あの1週間が本当に苦しかったですね。俺はどの道を選んだんだって……」。それは、謹慎中のある夜のことだった。冷蔵庫の中身も底をつき、所沢のマンション近くの小さな居酒屋に一人、出向いた。
店には無口な親父さんと常連さんがいて、冷やしトマトとサバの塩焼き、ビールと緑茶割りで、〆て1000円というのがいつもの定番だった。だが、その日は様子が違った。皆、解任の件には触れず、どこかよそよそしい。
「常連さんで学校の先生がいるんです。凄い大酒呑みなのに、呑まない。先生、何で呑まないんですかって聞いたら、今日は車でデーブさんを送りたいって。いやいや、歩いてすぐだから大丈夫ですよと言っても、いや送ります、呑んでください、楽しくやりましょう、と。
そしたら帰りに、店の親父さんが、いいちこと緑茶のペットボトル一本、あと、つまみを持たせてくれたんです。車に乗って、もう、涙が出てきちゃって。嬉しくて嬉しくて……」
マンションの自室に入ると、焼酎を呑んだ。呑んで呑んで、胃の感覚も麻痺してくると、深い哀しみに襲われていった。
「ああ、俺なんかいねえほうがいい、生きていても意味がねえんだって……。こんなに皆に気を遣わせて、身内にも迷惑かけてるんじゃ、いなくなっちゃったほうがいいなと、なぜかそう思って……」
洗濯物用のロープを取ると、カーテンレールに引っ掛けた。中腰でロープを首にくくり、そのまま腰をおとした……だが、その直後、凄まじい轟音と共にデーブの巨体は床に崩れ落ちた。体の重みで、カーテンレールごと壁から外れたのだ。そうして、デーブは、九死に一生を得た。「重さが違った、みたいな……」。そう言って自嘲気味に笑うと続けた。
「失敗して、窓を開けたら、目の前がお墓なんですよ。これは誰かが助けてくれたのかな、死ぬのはやめろってことかな、と……。もう一回、頑張るかって。野球なんかどうでもいい。次へスタートを切ろうって思えたのかな。今まで、自殺なんて考えたこともなかった。僕の人生の目標って長生きだから(笑)。死ぬってのが、本当におっかないから」
※週刊ポスト2012年1月13・20日号